過去の日記

和尚の日記

お知らせ

11月2日

令和5年10月8日に納骨式を済ませたことを
ご報告いたします。

お墓は、父が地蔵院本堂からいつも眺めていた
海と空、月が綺麗に見える場所にあります。









6月8日 朝9時
地蔵院住職 父 柴田福忠が享年85才にて遷化致しました。

6月11日午後 男鹿斎場にて火葬
6月12日11時 地蔵院にて密葬
柴田家親族にておこないます。


6月22日11時 地蔵院にて本葬儀
 檀家葬にておこないます。

生前に賜りましたご縁に深く感謝致します。



5月17日
一両日、何処と言ってではないが、体調がすぐれなかったが、今日はK家の法事を行った。
こんな時は他寺の和尚さんを頼んでも良いのだが、お布施の額を檀徒さんの随意にしている当時と
他寺のやり方に違いがあり過ぎればどちらににも迷惑をかけてしまうと思い
自分で行うことにした。疲れはしたがこれでよかったとおもう。





5月14日
昨日、連れの友人でTちゃん、Yちゃん、Mちゃんが遊びに来てくれた。
ちゃん付で呼んではいるが、みんな80超えの元気なおばあちゃんたちだ。
20歳代からの付き合いだから何の遠慮もない。皆でお笑いしながら話し合いをした。
彼女らが帰ったあと気が気が抜けたようになってしまった。
何をする意欲も湧かず早寝をしてしまった。
今日は元気も回復し普段通りの一日を過ごすことが出来た。



5月12日
朝から調子が良かったので、苦手なデスクワークにと思ったが、書いた文章が
コピー機につながらないトラブルがあり、その修復に時間がかかり疲れてしまった。
便利な機器も扱い次第では大変な不便なものになってしまう。



5月11日
午前中は用事もなく、大谷の出ている野球を見て過ごした。
午後2時からF家の法事を行ったが、少し声枯れしていてその分力が入った。
終わってほっとしたと同時に疲れがどっと出てヘロヘロ状態になり、夕方までぐったりしていた。

5月10日
連れの友人Kさんからお孫さんの安産祈願の依頼が届いた。
最近は懐妊祈願や安産祈願はほとんどなかったので、何か嬉しい感じがした。
力を祈祷し、無事にお産が出来るように祈りたいと思う。


5月9日
今日は病院でCT検査、採血検査を受けたあと主治医と面談する。
検査結果は特に問題なく、今後何をするにも先ずは体力回復の方が先と言うことになった。
2週間後の予約を入れて帰って来た。




5月8日
午前中は護持会会長さんと話し合い。会長さんの話は金不足を嘆くばかりで
それらに対する案が出てこないのが私は不満。嘆き節を半日聞かされたようで疲れた。

先日、半日がかりで娘に寺務所を片づけてもらった。綺麗になったところでの仕事は気持ちが良い。
いつもこのようなところで仕事をしたいものだが、さて?

明日は病院に行く日。絶食で
行っていろいろと検査を受け、今後のことを決めることになっている。
私の行動もそれから決めよう。









5月7日
相談事があると言って訪れたS・Tさんと面談。

午後にはK・K君の25歳厄払い祈祷を行う。
最近は厄年を気にする人は少なくなってkている傾向はあるが、何か起こってから
後悔するぐらいならしておいた方が良いと思う。


5月6日
梅も桜の花も散ってしまったのに、やっと鶯が啼きはじめた。
みんな幼稚で、ケキョケキョとしか言えないでいる。ホーホケキョと啼けるようになるまでもう少しかかりそうだ。

土砂降りの雨なのににゃんこたちは外へ出て行く。帰って来ては体を連れに拭かせている。
家の中ではさっぱり動かない人がいる。
連れの疲れは大変なものだろう。

5月5日
今日は少しゆっくりさせてもらった。また少し溜まって来たダイレクトメールやいらない書類などを
整理しながら一日を過ごした。

口の中がすっきりしないので、食欲にも影響があったが、何気なしに冷たいコカ・コーラを口にしてみたら
以外にすっきりしたので、うがいをしてみたら、口の中全体がすっきりした。
新発見!



5月4日
東京に住まいするI家の法事を行った。
地元の親戚の方々も参列しての法事だったので、終わってから皆で和気藹々と
歓談出来たのが嬉しい

ここ何日間は少しハードだったが明日からは少しゆっくり出来そうだ。


5月3日
近くの船木家の法事だったが、事情を話して自宅ではなくお寺にきてもらって行った。

午後には岩沼市に住むSさん家族が日帰り旅で訪ねて来てくれた。
何年ぶりの再会だろう。嬉しかったな〜。
大笑いしたり、みんなで涙を流したリ、短い時間ではあったが、本当に楽しい時間を過ごした。
交通渋滞も多いこの時期なのに、よくも宮城県からと感心したが、ドライバーの娘さんが
ナビを駆使してのことだと笑っていた。またの再会を約束してお別れをした。


5月2日
朝市で賑わっている五城目町。その五城目の高性寺のご住職が沢山の旬の山菜ご持参で
お見舞かたがた遊びに来てくれた。短い時間ではあったがいろいろな話が聞けて嬉しかった。

5月1日
免許更新手続きのため男鹿警察署に出向く。まだ足に不安があるので娘と孫について
行ってもらった。警察署の玄関に車いすがあったので、これを使わせて貰っていいかと聞いたら
「どおぞ」ということなので、それに乗って受付に行ったのが悪かった。
胡散臭そうな目でじろじろ見られ「そんな体で免許更新ですか?」と聞かれ、講習所からもらった
証明書を見せているのに電話で問い合わせをしていたりしていた。
検眼なども雑で答える前にくるくる回される感じで苦労した。自分では0,8まで答えた積りだが
「0.7でやっとだな」なんて言われてしまった。
「年も年なので返納でも良いんだが、坊主なので近場の檀家を回るのに免許があればいいんだけどね。」
と言ったら「和尚さんなんですか?」と言って態度がころっと変わり、写真も3回も4回も撮ってくれて
「これが一番良いかな」とか帰りには玄関まで送って来て、車をここまで持って来てここから乗って行って
下さいなどと丁寧だった。
いろいろあったが免許更新はできた。あとは自分の体力回復に全力を尽くすだけ。頑張ろう。



4月30日
昨日、一昨日と緊張とハードなことが続いたせいか、今日はぐったり状態。
連れも疲れているのか寝たり起きたりしている。
二人とも無理なことは出来ないないな〜〜と思う。

4月も今日で終わり。日々が過ぎ去って行くのは本当に早い。


4月29日
昨日の疲れもすっかり取れた感じで元気な朝を迎えることが出来た。
今日はS家の法事を行った。33回忌の法要だったが、私が導師を務めた精霊たちが
33回忌法要が多くなってくる。
私も随分長くここにいたのだな〜と思ってしまうこの頃である。


4月28日
一番の心配事だった運転免許の更新前の認知症検査と講習、車へ乗っての技能検査のため
秋田自動車学校へ行く。
手術や入院が長引いたため、何回も予定を変更してもらっており、免許の期限も少ないことから
半分駄目でもいいからと思いながら行った。
娘婿に介添えを頼んで、会場での3階移動や各階段の上り下りを助けてもらった。
職員さん達も私の事情を良く理解してくれて、私があまり動かなくても良いように計らってくれた。
お陰で認知症検査も大丈夫。車の技能検査も「本当に足が悪いの?」と聞かれるぐらいうまくできた。
証明書をもらって帰りの車に乗って少し経った頃から、体の力がどんどん抜けて行く感じがして
家に着いたときはふらふら状態で、娘婿さんに肩を貸してもらったり、最後はおぶさって
やっと家にたどりついた。
家についてすぐ連れに「かあさん、やっぱり駄目だったよ」と言ったら「え〜〜〜!」と
驚いてくれたので「受かったよ」と言い直したら涙目で喜んでくれた。
しばらくの間ぐったりしていたが、夕飯は娘が作ってくれたダマコ餅を堪能して元気がでてきた。
それにしても長く感じた一日だった。


,



4月27日
出たり入ったりの忙しいにゃんこたちと付き合っていると、結構忙しい。
今日は遊べる日だと分かるのか、甘え方が半端でない。
でも、楽しい一日だった。



4月26日
仙台にNさん、Sさん、Iさんから連続で電話があって、お見舞いや励ましをいただいた。
3家とも40年来のお付き合いで、N家、I家は息子さんの代になっているが、ご両親がいたころと
同じようなお付き合いをさせて貰っている。とても有難いことだと思っている。

4月25日
昨日は心地よい疲れだと思っていたが、今日になってどっと疲れたようで、自分も連れも
一日中ぶらぶらと寝たり起きたりで過ごした。
本当の疲れは2〜3日後に来るとはこのことなのだろう。

W子さんが来てくれて「これでも食って元気だしぇ」と言ってくれて、リンゴやデコポンを持ってきてくれた。
あまりな立派なものなので先ずは本尊様にお供えしてからと思い、自分たちは後から頂くことにした。

毎日毎日、頂き物の美味しいもので腹を満たしていると、自分も仏様になって来たんじゃないかと
錯覚してしまうくらいだ。これを言ううと連れは「バカ言ってんじゃね!」と言った顔で笑っている。


4月24日
正御影供法要も無事終えることが出来た。
法要には昨年よりも多くの参列者が多かったのも嬉しかった。
参列者の中に連れの友達Sさん、Tさんもいたので、ご飯を食べたりしながら楽しく歓談。
本堂のお供物下げや片づけは娘が必死になってやってくれた。
自分は護摩供を巌修したことで、心地よい疲れがあったが良い一日だったと思う。


4月23日
明日の法要の準備が終わった。
百味の供物を揃えるのは難しいが、華も多めに飾り、果物類、野菜類、山菜、海藻類、紅白の餅などを
お供え出来て、華やかな本堂になった。

多くの方々から励ましやご心配を頂いているうちに、自分は病人の感覚に陥っていたのではないかと
反省している。これではいけない。


4月22日
お供え物を揃えるのに連れも苦労している。
果物、野菜類はあらゆる種類を集めたようで、これを綺麗に飾りつて行くのも大変な作業になる。
山菜類は檀家の人たちが採って来てくれて、例年いなく種類が揃ったようで嬉しい。
華も花屋さんにお願いしていろいろな物をそろえてもらった。
明日の本堂荘厳作業が楽しみと同時に大変な作業になる。


4月21日
昨日に引き続き同じ作業をする。
大変なのは手伝いをしてくれる連れだ.紙の分類が面倒だと言っている。
それでも目の前が綺麗になると次の仕事にも意欲が湧いてくる。

魚貝類をすすんで食べるようになって来た。これで少しづつではあるが力もついて来るような気がする。
転倒が怖くて杖も使っていたが無意識のうちに杖を持たないで歩いていることも多くなってきている。


4月20日
気になっていた書類の山。手を付け始めるとやめられず夢中になってしまった。
目の前が大分すっきりしたのは良いが疲労困憊の状態になった。
書類は溜てはいけないとつくづく思う。


4月19日
昨日の誕生日で84歳になった。多くの方々からお祝いや励ましの言葉を頂いた。
皆さんの後押しを頂きながら、自分も頑張らないといけないと思う。



4月18日
病院に行って来た。主治医と話し合いし、4月中の行事が終わったら、今度は主治医の時間に合わせて
抗がん剤治療をすることにした。今度は叩きつぶすと言うよりも大きくならない程度で行こうと言うことになった。
こうなれば「癌ちゃん、しばらくの間仲良くしようぜ」と言う心境だ。

娘が好物の締めサバを買って来てくれた。これは酒のアテだろうと一杯飲んでみることにした。
美味い!す〜〜っと気持も落ち着く。寝るまでの間ず〜〜と気持よく過ごした。



4月17日
pc周辺機器や不要になった配線などの整理をした。随分と芙不要な物を買っていたんだなと思う。
今日整理した物は近くの廃品回収業者さんにお願いするつもり。
今度は紙類の整理に取り掛かろうと思う。
大分溜まっているしどちらかと言えば苦手な仕事だ。

正御影供の準備も始めなければならな。

明日は病院に行くが、主治医に謝らなければならない。生意気なことを言って退院して来たが
自分の思ったようには体力回復は出来なかったことを詫びなkレばならないと思う。



4月16日
歩行訓練をいつもの倍ぐらいやってみたが、息が上がることもなく出来た。
少しは前向きに思えるようになって来た。
皆さんから毎日のように励ましのお言葉を頂いている。プレッシャーを感じないでそれに応えられるように
早くなりたいと思う。



4月15日
午後になてってAさんが遊びに来てくれた。Aさんには季節季節の野菜やお米を届けてもらっていて
物心両目でお世話になっている。「少し痩せたようだけど元気そうで良かったな」と言ってもらえて
嬉しかった。自分も頑張らねばと思う。


4月14日
電話無し 人もこなくて 暇坊主
こんな日があってもいい。


4月13日
新しい眼鏡が出来て来たので早速かけて見た。目がきついので優し気に見えるフレームをと言うことで
娘や連れにも見てもらって決めたものだが、かけてみて鏡を見て一応納得。

夕方、何気にみた鏡に映った自分の顔にびっくり!頬がげっそりこけている。
朝と全然違う。こんなにスタミナ不足なのかと思うとがっくりとくる。
やぱりもっともっと物を食わないといけないと思う。


4月12日
連れの留守中に宅配便が来たので、気楽に立ち上がって出て行ったが、自分の足腰の弱さを忘れていた。
転んでしまった。何事もなく無事で良かった。

今日も苦手なデスクワーク。何とかやるべきことをやることが出来た。


4月11日
今日は娘の誕生日。毎日一生懸命頑張ってくれているし何かお祝いでもと思っても
何もしてやれないことに気が滅入る。18日には私が84歳の誕生日を迎えるが
出来ればもっと元気な誕生日を迎えたかったな〜。


4月10日
昼寝をしている間に、Kさんが手軽に食べれて栄養もつくと言う物を持ってお見舞いに来てくれたそうだが
私を起こすことなく帰ってしまったとのことで、会えなくて残念だった。

最近は少し足腰に力がついてきて、杖をついて歩いていたのが、杖を引きづって歩くように成ってきた。
これは嬉しい。
デスクワークは相変わらずデスクに向き合うのが億劫だ。




4月9日
早朝、メールをみて、Tさんから車の祈祷の依頼が入っていたので、早速朝のお勤めで祈祷する。
お札の発送準備は終えたが。今日はにちようなので、明日発送することにする。

Kさんが行者にんにく持参で遊びに来てくれた。行者にんにくは私は苦手だが、連れの好物なので
有難く頂戴することにする。

今日はあれも食べたい、これも食べたいで、少し食べ過ぎた気がする。後に響かなければよいのだが?

4月8日
不自由に鞭打ってデスクワークに没頭した。文書を一枚書き上げるのに普段の3倍は
掛かっているだろうと思う。しかし、出来上がれば達成感も湧き上がる。
明日は封書詰、明後日には発送できる。

秋田市のTさんが高砂堂のお菓子を携えてお見舞いに来てくれた。Tさん、ありがとう。



4月6日
早起きしたわけではないが、5時からの大リ-グの放送をみた。
大谷の活躍、頑張りには感心する。

食欲が少しづつだが回復してきている。食べたいものをはっきりと連れにも言えるようになってきた。
この調子を続けて行きたい。

事務的な仕事も溜まっているが、指先の痺れが取れないので、キーボードがうまく使えない。
この日記を書くのでさえ長い時間が掛かっている。
これを何とか克服したい。


4月5日
午前中は護持会会長さんと打合せ。大して重い話題でもなかったので軽い談話になった。
法事の日程打合せもして話を終えた。
午後にはS さんがおいでになって法事の日程打合せ。
入院が長くなって行えなかった法事が詰まって来ることは予想されるが、体調を見ながら出来るだけ要請には
応えて行きたいと思う。



4月4日
今日は主治医と今後のことを相談するために病院へ出向いた。
採血検査と腹部、胸部のレントゲン検査もした。
面談でレントゲンの検査を結果を見せてもらい、肺はきれいになっていると言われほっとする。
暫らくは現状維持で生活し、抗がん剤治療は普通の生活が出来るようになってからと言うことなった。

親しくして頂いている眼鏡屋さんに寄って視力の検査をしてもらった。
少し度を上げてもらって新調することにした。予備も含めて二つ作ってもらうことにした。
お金のないことをはっきり話して、安くしてもらった。





4月3日
退院後、初めて肉を食べてみた。埼玉のI先生が送ってきてくれたもので、とても美味しく感じたが
少しだけ食べることにした。いろいろな物を食べれるようになってきて嬉しい。
明日は今後のことを主治医と相談のため病院に行くことになっている。
いおいろ仕事もしたいが、先生との話し合いでの行動予定と併せてやって行くことになる。


4月2日
今日は少しづつだがいろいろな物を食べてみた。
嘔吐の心配もなく一日を過ごせたのが、元気にもつながった。

4月1日
髭を剃ったりして少し身だしなみを整えた。すっきりして新しい気持ちになれた。
この気持ちで仕事もぼちぼちと始めようと思っている。

Sさんがお見舞いに来てくれた。そして私が前に話していた階段整備に使ってくれと寄付を
申し出てくれた。まだ勧募集もいていない段階だからだと辞退したが、どんな形でも良いから
寺の為に使って欲しいと言われ、ありがたくお預かりすることにした。
階段整備に明るい見通しが出来たようで嬉しい。



3月31日
春の選抜高校野球と大リーグの大谷の活躍を見せてもらって感激。
若者たちが全力を出し合って戦う姿は美しい。

3月30日
思うにこの日記は自分の近況を発しているだけで、見て下さっている方がには
とても申し訳なく思っている。
それでも、入院中にお世話になった医師や看護士、多くの方々からいただいたメールでの励まし
退院後にお見舞いに来てくれた方々からの力強いお言葉を頂いて、落ち込んでなどいられない
自分を感じる。
こうした経験を今度は他に向けて生かして行きたいと思っている。


3月29日
内ももの筋肉の衰えは意外と重症のように感じる。赤ちゃんがハイハイから立ち上がれるようになる
過程を想像してみて、自分も部屋の中を動き回る時はハイハイをして見ようかと思った。転倒などの
危険も避けることが出来るかも知れない。
少しづつだが食べる物も増えてきている。この調子で行きたいものだ。


3月28日
能代松陽の健闘に大感激。優勝候補の大阪桐蔭に一歩も引かず、むしろ押し気味に
試合を進めいたが、残念ながら0−1で破れてしまった。

自分の体調は少しづつだが良い方に向かっていると感じている。
内ももの筋肉の衰えを感じるので、鍛えないとけないと感じた。

3月27日
あれほど渇望していたはずのたばこに気が向かないことに驚いたが、やっと気が向いて
一本吸ってみた。美味い!今日も元気で過ごせた。


3月26日
入院前に約束していたRさんの忌明け法要を行った。喪主が東京在住のこともあり
日程変更は気の毒なことも考え、行うことにした。無事に出来たことは良かったが
さすがに疲れた。

3月25日
やっとのことで退院出来た。長引いた原因は術後に吐いてしまったことがあって
それが誤飲となって肺炎を起こしてしまったことであった。その後も食欲が回復せず
 悶々と寝たり起きたりのしかつだが、主治医からの進言もあって、自宅へ帰って
好きなものを食べながら回復を図るのも良いのではないかと言うことで
退院させてもらうことにことになった。
連れは喜び、チャート、ゴーマのにゃんこたちは興奮して飛び回っている。
これだけでも元気が出るような気がする。


2月27日
今日10時半に男鹿みなと市民病院に入院します。
パソコンは持っていきませんので、退院までこの欄はお休みさせていただきます。
沢山の方々の応援とお祈りを感じながら頑張ってきます。


2月26日
明日の入院に備えての準備。忙しそうにちょこちょこ動いているのは連れだけで
わたしは「それはいらねべ」「それもいらね」と言っているだけ。
結局中型の旅行ケースに収まる程度の持ち物になった。
入院となるとやはりなんともなく気が重い。


2月25日
いよいよ入院が近づいてきた。あちこちから電話を頂いたりして励まして頂ているが
私の気落ちは穏やかではなく心配で一杯だ。
手術後はどのくらいで日常生活にもどれるのだろうか?免許更新の講習は無事に受けることが
出来るのだろうか?
正御影供(みえく)法要の導師が勤まるのだろうか?などなど不安が一杯なのだ。
連れの「な〜に、大丈夫だ〜!」に救われてはいるが、心の中では
「おめ〜は軽いな」などと反発している自分がいる。
何事にも達観できない愚僧がここにいて、一人で悩んでいる。


2月24日
午前中は護持会会長との総会に向けての打合せ、午後から連れが歯医者、眼医者と出掛けている
間に来客があっての対応や、忙しい時に限って纏わりつくにゃんこたちの対応で、自分がしたいと
思っていたことはほとんで出来ないで、一日が終わってしまった。


2月23日
来客、電話もなく運気鑑定に没頭できた。
それでもまだまだ沢山残っている。どうしよう。
入院する日も刻々近づいているのに、どうしよう。


2月22日
Kさんがお参りかたがた私への見舞いということで、Kさんの地元の酒造会社で造っている
甘酒を持って来てくれた。Kさんは私がこの寺に晋山以来の付き合いで、私が晋山してから
まもなく父親と母親を亡くし、その後もいろいろと苦労を重ねてきているのを見てきているだけに
いつも気にかけている存在だ。苦労も厭わず明るく元気に振る舞う姿には感心している。
今日はゆっくりしてもらい、昔話などに花を咲かせ、連れと娘を含めて大いに語り合うことが
出来た。涙を溜めたり、鼻水を垂らしたり、大笑いをしたりの語り合いだった。

夕方には本尊様から下ろしてきた甘酒を頂いた。食いあたりも良く飲みやすいので
癖になりそうな気がする。栄養価も高いと言うことなので、手術後の体力回復には役立ちそうだ。
ありがとう!Kさん。


2月21日
昨日に続き鑑定をしていたが、来客などがあって中断すると、暫らくは
気持が集中出来なくなってしまうので、なかなか捗らなくなってしまう。
27日の入院前には終わらせたいと思って頑張ってはいるのだが・・・


2月20日
今日は依頼されている運気の鑑定に専念した。
ワードで文章化する段階で結構苦労している。手先の痺れの治るのが
待ち遠しい。


2月19日
護持会の役員会で意見を求められ、弘法大師生誕1250年の記念の年でもあるし
当山でも記念事業として、境内整備の一環として駐車場から本堂に向かって
上がってくる階段の修理と手すりを付ける工事を提案したが、護持会に
金の余裕がないことを理由に快い賛同は得られなかった。
しかし、私の腹は決まっている。縁ある方々に浄財をお願いし、足りないところは
私財を投じてもこの事業を完遂させたいと思っている。


2月18日
昨日からの疲れを引きずることもなく、今日は爽やかな目覚めと通常通りの動きが出来た。
体調も良いし食欲もあった。出された物は何でも美味しく食べられた。


2月17日
朝5時から7時までに2リットルの洗腸剤を飲む。簡単に言えば大量の下剤を飲むのだから
大変。最後は透明な水のようになって落ち着いたのが9時近く。
それから風呂に入って体を洗い、身を整えて病院に向かう。
予約時間から1時間以上待たされてから、内視鏡検査。ポリープがあれば内視鏡手術で
取り除き、出血の心配があれば1〜2日の入院もあるかもと言われていたが、全く無しとの
ことで、おのまま会計そして帰宅。
途中で何か食べて行こうかと連れの意見もあったが「卵かけご飯が食いたい」と私が主張し
家に帰って連れも娘も卵かけご飯を食べて満足。
何んの悪いところがなかった安心感と朝からの頑張りでつかれたのか、食後はぐっすりと
寝てしまい、目覚めたのは夕方だった。




2月15日
久しぶりの大雪。30センチぐらいは積もったようだ。
Aさんが境内、本堂前、階段など綺麗に雪よせしてくれて大助かり。
軽い雪だったとはいえ大変だったと思う。
いつも寺のことを第一に考えて下さっているAさんには感謝の気持ちで一杯だ。


2月14日
朝、娘に送ってもらって病院へ。8時半からの受付と同時に始まった種々の検査。
採尿検査から始まって心電図検査、肺活量検査,採血検査、胸部のレントゲン撮影検査までは
順調に進んだが、胃カメラ検査までは1時間半も待たされた。
待たされた分、ここでは「全く問題はありません。綺麗な胃ですよ」と言われ
嬉しかった。最後のエコー検査が終わって、今日はこれで帰ろうと思ったら
主治医の先生から声をかけられ、いろいろと画像をみせてもらいながら、3月1日の手術に
準備が整いつつあることを話してもらった。17日に予定されている大腸の内視鏡検査に
問題が無ければ28日入院、3月1日手術と予定通りに進むことが確認された。

午後1時過ぎに帰宅出来たが、チョコやたばこなどの荷物がと届けられていた。
今日はバレンタインデーだったのを思い出した。夕方にはチョコレートケーキ持参で訪ねて来て
くれたSさんのような人もいて、嬉しい一日になった。
夕方には高知のIさんから、高知の名産果物セイトが届いて、食べたがっていた
連れは大喜びで早速食べていた。
「おいおい。未だ御礼前だぞ。それに本尊様にお供えもしないうちに・・・」と思ったが
子供のように喜んでる連れの笑顔も捨てがたい。「ま〜〜^いいか」



2月13日
午前中は護持会会長と今後のことについて打合せ。護持会側からこれといった案が出ないので
私も答えようが無い状態だ。護持会側が積極的に寺を守り、興隆させていく意思表示を
してくれるように強く言って今日はお帰りしてもらった。

午後にはSさんが、他の神社から頂いていた破魔矢の処理を依頼方々遊びに
来てくれた。にゃんこたちにチュールのお土産持参でだ。
我が家のにゃんこたちは幸せ者だと思う。

2月12日
今日も運気鑑定をしていたが、やはりピッチは上がらない。ワードでの
文章書きがうまく行かないのが原因だ。
イライラしている時に限ってチャートやゴーマが、食べ物を欲しがって纏わりついてくる。
「う〜〜〜ん。面倒くせ〜な」と思いつつも相手をしていると、いつの間にかイライラが
なくなり穏やかなん気持になってくる。
にゃんこたちが私の心を癒やしてくれている。助けられている。



2月11日
頼まれている運気の鑑定をしているが、タイピングの悪さから遅れている。
いっそ手書きの方が良いかと思っていてみたが、自分でも読めないぐらい
拙い字で、少し時間はかかるがワードに頼ることにした。

Tさんからの荷物が届いた。ウナギの他にも大好物の味噌漬けなども入っていて
思わず「お〜〜!」と声を上げてしまった。
晩飯はうな丼で決まり。美味しかった。



2月10日
R子さんの葬儀を午後3時から執り行った。
参列者の多いのには驚いた。時間も少なかったのに、こんなに多くの人たちに
連絡がついたものだと感心した。
R子さんは長年スナックを経営していて、フアンも多かったので、その方々の参列も多く
また献花もされて、厳かな中にも和気藹々とした和やかさもあって、良い葬儀になったと思う。
R子さんのご冥福を心から祈る一日であった。

Tさんから「和尚さん、元気?ウナギおくるよ〜!」と
電話があった。明日の楽しみが増えた。


2月9日
早朝の電話でR子さんが昨夜の8時半過ぎに亡くなったと知らされ驚いた。
2月3日にあったばかりで、とても元気で「最近は毎日楽しいんだよ」なんて言っていたのに。
人の命の儚さ、無常を改めて知ることになる。
長い間一人暮らしで、家系の事情もあり、急遽私が導師を務めて明日葬儀を行う
ことになった。
万端の準備を整えて憶ってあげたいと思っている。


2月8日
Sさんから現金書留が届いた。中を見るとお布施と礼状が入っていた。
星祭祈祷の中で息子さんのT君が、数え歳42歳だったので厄払いの祈祷をして
あげたのに対する御礼だった。
電話で話をすると、親が気付かずにいたのに、和尚さんが厄払いをしてくれたのが
嬉しかったと言ってくれた。こんな信者さんがいてくれるのが私としては嬉しい。

3月に予定されてた法事などに変更のお知らせの電話を入れる。
3月中は法務のお休みを頂くことにして、療養に努めることにした。



2月7日
予約していたので男鹿市市民みなと病院に出向く。
採血検査とCT検査をしたあと主治医と面談し、今後のことを話し合った。
14日胃カメラ検査、17日内視鏡検査、27日入院、28日洗腸、3月1日手術、3月13〜14日退院
で行こうと言うことになった。主治医は淡々と話してくれるが、私としては
不安と希望が入り混じった複雑な感じもする。でも、今までもお任せできているし、向後も
お任せで行こうと腹を決めた

病院を出てからは市役所へ寄って、マイナンバーカードを貰いに行った。
ポイントを貰うための手続きなどで結構時間を要した。

次には海鮮市場に寄って食事。私は鯵のフライ定食。連れはべバルの焼き魚定食、娘はタラのフライ定食を
頼み、一品料理としてダダ三の天ぷらを頼んで、連れと娘で食べた。
定食には少量だがお刺身もつくし、とくにじゃっぱ汁は逸品で美味しい。
今日も楽しく食事が出来て嬉しかった。

家に帰ると待ってましたとばかりに来客があり、車の祈祷を頼まれた。
明日の朝の勤行の時に拝むことにして、お札の浄書だけは済ませた。













2月5日
寝不足などの疲れが今頃出て来たのか、とにかく眠い。
炬燵に潜り込んで、転寝、転寝の連続。
夕方になってやっとスッキリ!


2月4日
昨日、来れなかった方々へのお札のお届け、少し遠い方々への発送準備を
終えてからは、ゆっくりと休ませてもらった。



2月3日
お札の浄書が終わったのは今朝の7時ごろ。それから護摩壇を荘厳し
今日の祈祷の準備は完了。懸念してた通りほぼ徹夜になった。
祈祷は12時からの祈願者の名前と願意の読み上げに1時間余を要したが
その後の修法も順調に進み、2時ごろには終えることがvことが出来た。
少し時間を頂いて法話もし、参列者と楽しく歓談も出来た。
コロナの影響、その為に一番の楽しみである豆まき、抽選会などを中止したこともあって
参列者は少なかったが、その分、個々人と親しく話し合いが出来たような気がする。
一つの大きな行事を終えることが出来てほっとして居る。


2月1日
今日はお札浄書に没頭できた。
しかし、遅れは取り戻せてはいない。明日はいよいよ徹夜かな。


1月31日
お札浄書に没頭・・・のつもりではあったが来客があって二度も中断。
こうなると後は気持ちが乗らない。
あっと言う間に晩飯、風呂、そして寝る時間になってしまった。


1月30日
1日中、お札の浄書に没頭。


1月29日
待ち焦がれていたお札が午後になって届いた。



1月28日
今日も申し込みが入って来るが、お札がどんどんなくなっていく。
注文しているものが来ないと、どうしても間に合わない状態になって来た。
業者は今日明日と休みなので、状況がわからないと言う。
今日明日と状況がわからないまま週明けを待たなければならない。


1月27日
星祭祈祷の申し込みが次々と入って来るが、肝心のお札が無い。
京都の業者さんに発注したものだが、コロナの影響で工員さんの手配がままならず
納品が少し遅れると言われてはいたが、ここまでくると焦りが出てくる。
この度の雪の影響もあるだろうしと思って我慢もしてきたが明日には様子を聞いてみようと
思う。仕事をしたくても出来ない状態も辛いものだ。


1月26日
お正月にお伺いできなかったお宅から「毎年頂いているお札だけでも欲しいのですが」と
問い合わせがあり、夕方に取りに来てくれた。「このお札がないと何となく心配で・・・」
と言って、拝みに行った時と同じ額のお布施を上納してくれた。星祭祈祷の申し込みも
して喜んで帰って行かれた。雪の中を本当にご苦労様でした。

娘を呼んで諸々の支払いを依頼した。雪道運転の苦手な娘には苦労を掛けている。
ありがとう。

手術から一年が経過した。抗がん剤治療も6ケ月間したので、あっと言う間の一年間であったように
思う。この間、治療で入院以外は、具合が悪くて床に臥すこともなく、法務を務めることが出来た。
多くの方々に物心両面のご支援を頂き、特に皆様のお祈りを頂いたお陰だと感謝している。


1月25日
今日も大荒れ。全国的に雪による被害が報じらえてる。
ここはまだ良い方のようだ。宅急便は届くし郵便物も来ている。
郵便の中に星祭祈祷の申込書が数数入っていて、その中にある申込者の手紙があって
「いつまでも私たちのご本尊様でいて下さいね」書いて下さって方がいて
とても嬉しかった。仏さまになったつもりはないが、私の様な者でも、人さまから
頼られていると思うと、もっと元気でいなければならないとと思う。

一昨日は特に記すこともないと思って日記を記さなかったら、「具合でも悪いの?」
とか「大丈夫なの?」「元気なの?」とか問い合わせがあった。
休むと心配をかけることになるので続けたいが、拙いことばかりで恥ずかしいのも
あって迷うこともある。

1月24日
予報通り強い北風が吹き荒れ雪も大分積もった。外にどうしても出なければならない
用事もないので連れと二人で家にこもっている。
こんな雪の中でも祈祷の申し込みに来てくれる人達がいるのが有難い。
「こんな難儀な日に来てくれるなんて。拝む前にあなたの願いは叶ってますよ」と
声をかけてあげると一様に「わ〜〜!ヱがったすな!」と喜んでくれる。
寒い日でも心が通じ合えば暖かい。


1月22日
24にから大寒波襲来の予報が出ているが、あまり大事にならなければいいなと
思っている。

気ばかり焦るが、星祭り祈祷の準備が進まない。お札が来ないうちは
どうしようもないからだ。大寒波で荷物の到着が遅れるようなことが無ければと
願っている。



1月21日
昨日の連れとの話し合いの中で「なべ焼きうどんが食いたいな」と私が言ってたのだが
今日、お出でになったS・Tさんが、なべ焼きうどんを6食ぶんも携えて来てくれた。
連れも驚いて「和尚さんの念が通じたね」とSさんとともに喜んでいた。
こんなこともあってひと時楽しく歓談出来た。

大荒れ注意報が出ていたが、風も雪も大したことにならずほっとした。

星祭の祈祷お札の作成が遅れているとの連絡が業者から入った。
これは大変だ。祈祷ぎりぎりまで忙しいことになりそうだ。



1月20日
雪もなく、寒中にしては暖かい静かな日が続いていたが、大寒波襲来の予報が出て
少し心配だ。あまり荒れないで欲しいものだ。

宮城の恩師の寺からお米が届けれた。お正月からご本尊の前にお供えし祈願してきたお米だから
これを食べて早く健康体になって欲しいと、恩師の息子さんからの手紙も終えられていた。
本当にありがたいことだと思うし、頑張らないとと改めて思った。


1月19日
護持会会長から頼まれていた総会の案内状、総会資料の表紙、宛名シールの印刷など
一切をし終えることが出来た。面倒なことも終わったので、明日からは星祭祈祷の準備に
専念出来そうだ。


1月18日
海鮮市場のご主人がお見舞いに来てくれた。元気づけられた。
漁師もしながら市場をしている人なので、とにかく元気な人なので、話をしているだけで
元気をもらえる。「俺も頑張らないと。」思わせてもらった。

1月17日
人の出入りが多い一日だった。中にはEさんのように、わざわざ申込書と祈祷料持参で
天候も良くないのに秋田市から来てくれた人もあったりした。
皆が一様に豆まきを行わないのを残念がっていた。

1月16日
抗がん剤治療が終わってから、手足の痺れの影響で車の運転の控え、用足しのほとんどを
娘たちに頼んでいたが、軽い用足しなら自分でしてみようと思い立ち、5か月振りで
車を運転し町に出て見た。
海鮮市場に行ったり、コンビニに寄ったりして、2時間足らずの外出だったが
自分の意志で動けたのが嬉しかった。
雪のない日は、少しづつでも動いてみたいと思った。


1月15日
護持会の会議資料、年度予算案、事業計画などのことで、会長さんが来た。
会長が何の腹案も持たずに来られても対応の仕方が無いと伝えた。
もう一度案を練ってから相談しようと言うことで、今日の話し合いは終わりにした。

星祭祈祷の申し込みの出足が少し遅いのが気になる。


1月14日
星まつり祈祷申し込み一件受け付け。わざわざ持参してくれた方がいた。
後は何事もなく、転寝やネットサーフインをしたり、相撲観戦をしながら一日を過ごした。

1月13日
秋田市のTさん、脇本のSさんが揃って、お見舞い方々遊びにきてくれた。
大きな箱に入った沢山のリンゴとにゃんこたちの大好物チュールも沢山持参してくれた。
1時間半ほどの短い時間だったが楽しく歓談出来て楽しかった。


1月12日
E子さんからの電話で、星祭祈祷の申込書を送ったとのこと。
申し込みがこれから続々と入ってくるだろうと思うが、一番楽しみにされている
豆まきや抽選会を行わないので、どうなんだろう?

今日は3月末か4月上旬の暖かさだとか。家の中にいるとあまりよくわからない。
またぶり返しの寒さが来れば対応が大変だと思う。

今日もチャートとゴーマに遊んでもらいながら一日を過ごした。骨山の
和尚さんは呑気なものですめね。っと笑われそう。


1月11日
仕事が一段落したことが分かるのか、にゃんこたちが無性に纏わりついてくる。
とくにゴーマの方は外へ出たくなると私を呼びに来て一緒に出ようと誘いをかける。
何回もh付き合いきれないので、玄関まで一緒に行って「行ってらっしゃい」と
声をかけるだけにしている。不満そうな顔をして出て行くが、すぐに帰って来て食べ物をねだる。
チャートの方は普段は連れにべったりなのだが、食べ物は私にねだる。
なんだかんだで手は掛かるが、老夫婦に取っては掛けがいのない同居人(猫)なので
大事にしたいと思っている。



1月10日
星祭祈祷の案内状の発送完了。後は申し込み書の届くのを待つだけ。
この案内状だが、晋山以来35年間一度も申し込みのなかった檀家さんが
数多くいるのが私の唯一の不満である。年内行事の全てに不参加の檀家さんが多いのは
ひとえに私の教化力の無さが原因だろうと自覚はしているが
「それにしても・・・」と思うことも多い。

1月9日
気を使いながらワードを打っていたせいか疲労困憊。
眠くて眠くてどうにもならず昨日は午前中から寝てしまい、気が付いたのは今日の午後4時。
連れは心配で何回も見に来ては起こそうとも思ったらしいが、あまり良く寝ているので
起こさなかったと言っていた。起きた後は気分もすっきりして、気持が良い。
また、何でも出来そうな感じがした。


1月7日
郵便局は土日、祭日は配達業務を行わないとのことなので、星祭案内状は
ゆっくり準備している。9日に投函できるようにしたいと思っている。

雪があまり降らないので助かっている。この調子が続いてくれると良いのだが・・・



1月6日
2月3日に行う星祭祈祷の準備に着手。
案内状、祈祷申し込み書など刷り物が多いのも苦手な仕事のうちだ。
10日発送の予定で仕事を進めたい。

日中、好天で暖かくなったせいか、本堂から落ちる雪の音が地震のような音を立てて
一瞬怖かった。にゃんこも私にぴったりくっついてしばらく離れなかった。
何年か前になるが、廊下のガラスを割ったこともあるので、本堂から落ちる雪は
油断がならない。


1月5日
今日はゆっくり休むことにした。朝風呂に入ったり、朝食もゆっくり遅めにとったり
連れと思い思いに昼寝をしたりした。
来客もなし、宅急便屋さんも来ないし、本当にゆっくり出来た一日だった。


1月4日
祈祷に来れなかった方々へのお札配りと、船川地区の檀信徒への新年あいさつ回りで
久しぶりの外出をした。檀信徒へは例年だと家に揚げてもらって、神棚や仏壇の前で
経を読んでからご挨拶をさせてもらうのだが、今回は着物を着ずに出掛けて玄関先での
ご挨拶にして頂いたが、どうしてもとと言われ家に上がって、お茶をご馳走になったお宅もあった。
何処の家でも元気で良かったと言われ、励みになった。
娘婿が車を運転してくれたので、楽に回れたのも良かった。
遠方の信者さんたちへのお札の発送も終えたので、ほっと一息つくことが出来た。
町内を一日で回り切った連れは「つかれた〜〜」と言っている。
本当にご苦労様でした。



1月3日
新年護摩祈祷は牟魔にて成満することが出来た。体力的にも心配があったが
終わってみると昨年の年末よりは調子が良いように感じる。

今朝起きて見ると雪が大分積もっていた。新年祈祷の最終日なので参拝者もあるだろうしと
思い急遽Kさんに雪かきを依頼した。早速駆けつけてくれて、綺麗にしてくれた。
何かあればKさんでは大変申し訳ないのだが、どうしても頼りにしてしまう。


1月2日
例年参拝者が少ない時間帯の祈祷なので、遠方の方々の祈祷をし、お札を送るため
レターパックに入れたりの作業をした。
午前11時開始の予約者と遠方の方々の祈祷だけと思っていたが、開始直前に飛び込んで来た
家族があって、お札浄書の間開始移時間を待ってもらっての始まりだった。
今日もまずまずの気候に恵まれて良かったなと思う。

正月2日は我が家はとろろの日。今回は娘の旦那が作ってくれた。
皆で「ずるずる」音を立てながら食べるとろろ飯は特別に美味い。
お正月気分を満喫しながら今日を終えることが出来た。


令和5年1月1日
雪もなく天候も良くて静かな年明けとなった。
例年だと午前1時と6時と11時の三座護摩祈祷を行うのだが
今年は自分の体調も考えて、午前11時の一回にして頂いた。
部落の人たちは飲んで寝てしまったのか、コロナを心配してか参列者が少なかったが
能代や五城目町からなど遠くからの参拝者が多かった。
今年は祈祷をしないのではないかと心配していた人も多く、一様に祈祷してもらって良かったとか
今年も護摩の火に当たれて良かったと喜び合いながら散会した。
こうして一年が始まったことが嬉しい。






12月30日
連れが頑張って磨き上げてくれた仏器が、それぞれ美しい輝きを放っている。
明日に本堂を荘厳するのが楽しみだ。
明日は精一杯頑張って、元日の新年護摩祈祷に備えよと思う。


12月29日
娘の旦那と孫が来てくれてすす払いや、本堂、六地蔵さまのお堂、庫裏玄関に注連縄を張って
ご幣束を下げてくれた。お正月を迎えるムードが高まってくる。
 夕食は娘家族と一緒に賑やかになった。仙台のMさんが送ってくれたカキのフライがメインになったが
カキフライを揚げる娘は忙しそうだった。私も久しぶりにビールを少し飲んでからご飯を食べた。
賑やかに歓談しながら食べるのは、楽しくもあり美味しい。


12月28日
納め不動の法楽を一座巌修した。例年だとこの後すす払いをするのだが
今年は手伝い人の都合で明日行うことになっている。
連れが仏器磨きを一生懸命にしてくれているので、すす払いや掃除の後に飾り終えれば
久しぶりに綺麗な本堂になって新年を迎えることが出来そうだ。
肝心の私の仕事は捗っていないのが辛い。



12月27日
連れは餅つきに夢中。私は連れに相手にされず不満顔のにゃんこたちのお相手。
おいおい!仕事が一杯あるんだぞっと思いつつ、ぐうたらぐうたらだ。
これじゃ正月前に徹夜もありになって来たなと思い始めた。


12月26日
自分では急ピッチで仕事をしているつもりだが、結果はついてきてない。
今年も本当に押し迫って来た。明日からはもう一度気合を入れ直して頑張ろう。

12月25日
美味い!昨日いただいたザ・ピースで一服した。
「これだばしんでもえな」と思ったが、死ぬこと、もなく、後の仕事も順調に捗った。


12月24日
敬虔な仏教信者なのに、毎年クリスマスになると贈物をしてくれる仙台のKさん。
私にはお小遣いと高級たばこ「ざ!ピース」、連れにはお小遣いと小間物、娘たちにまで
化粧品などを送ってくれた。彼女とは40年以上の付き合いになるが、信者さんと言うよりも
私の護持者として長い間付き合ってくれた人で本当に感謝している。

娘がスパイク付きの防寒靴を買ってくれた。足にぴったりフイットして履きやすい。
外で履くまでは家の中で履いていたら良いと連れに言われたので、そのようにしたら
とても安定感があって歩きやすい。歩くのに張り合いが出て来た。



12月23日
年賀状の宛名を手書きで始めたが不細工この上なし。
年始早々に大恥をかきそうだが、お許しいただこう。このまま最後まで書き続けるつもりだ。

ハタハタ漁を諦めたと漁師さんから連絡が入った。連日の時化で漁に出られないのと
出たとしても漁獲が見込めないとのことであった。私もあきらめることにした。
待っている人たちにお詫びもしなければならないな〜。






12月22日
今日は何をしてたんだっけ?と思われるほど、早く一日が終わってしまった。

12月21日
年賀状の印刷を終えることが出来た。宛名は手書きでしたいと思っているが、手先の痺れでうまく書けるかどうか
心配だ。元々が拙筆なのに、益々酷い字になって恥をかくことになりそうだが・・・
先ずは手書きでしてみよう。あまりひどいようならPCのワードに頼ることにしよう。

12月20日
F家の忌明け法要を行った。Fさんは手元不如意を理由にして、法要は出来ないと言っていたが
お布施の心配はしないでいいからやることだけはやりなさいと勧めて、行うことにした。
法要を終えてFさんはすっきりした顔で「お経をあげて貰って良かった」と言っていた。

仙台のNさんからみかん、Iさんからはぶどう、Tさんからはかまぼこ、東京のHさんからは洋梨が届き
嬉しい悲鳴を上げている連れの姿も楽しそうだ。
年の暮れの雰囲気も高まってきたように思う。




12月19日
うん?夢だったのか〜。
実家近くの神社の境内で雪合戦をしている夢を見ていたようだ。
朝起きて外を見ると、真っ白な雪景色。10センチぐらい積もったのかな。
雪の降っている間、自分は子供に帰って夢を見ていたのかも知れない。


12月18日
年賀状作成に取り掛かって感じることだが、今年も新年欠礼のハガキを沢山頂いている。
身内に亡くなった方の物が多いのだが、中には年賀状のやり取りをやめようと言う方のハガキもある。
人それぞれの考えがあってのことだから、とやかくは言えないが、年に一度の近況報告を兼ねた
賀状のやり取りぐらいは続けて行きたいと私は思っている。


12月17日
各所からカレンダーが届けられると、今年もいよいよ終わりかなと強く感じるようになる。
頂くカレンダーはそれぞれ特徴があって、毎年かけておくところは決まっている。
お届して下さった方々にも喜んでもらえるようにしたいと思っている。

祈祷の申し込みも順調に入ってきている。新規の方もいるので、新年の祈祷は力が入りそうだ。
そろそろお札の浄書も始めなければならない。
うん?年賀状の作成が未だだった。これが先だな。


12月16日
荒天が続いているし気温も低いので、とにかく寒い。
居間はにゃんこたちの出入りで、閉めたと思えば開けられるの繰り返し。
「開けたら閉めることも覚えなさい!」と少し強めに言ったら、きょとんとした顔で
「それはお前の役目だろう」と言うような顔をしていた。片方のメスのにゃんこは何を言っても無視される。
こんな自由が出来たらな〜〜と彼らがうらやましくなる時もある。

12月15日
息子の嫁さんから、私と売れにお小遣いが届けられ、嬉しさに{お〜〜〜」と声を上げる。季節季節に
心遣いをしてもらって本当に感謝している。

高知県に移住したYさんから、高知のミカンが送られてきた。嬉しくてすぐ電話をした。
すっかり新しい土地に馴染み、元気に暮らしている様子が感じられて、嬉しさと安心を感じた。

仙台在住のFさんからは、大好物の支倉焼と言う銘菓が送られてきた。
送ってくれるなら「これ」と言ってはあるが忘れずに送ってくれるのが嬉しい。
彼女は同期生なので、歳相応にいいろいろとガタが来ていると、電話口で語っていたが
「俺も同じようなものだよと」と話して、お互いに慰め合い、励まし合って、御礼かたがたの
電話を切った。

いろいろなことが合って、いよいよ暮れも押し迫って来たなと強く感じた日であった。


12月14日
大荒れの一日。積雪はほとんどなかったが、風が強く、ストーブが2度止まったほど。
居間の煙突式ストーブは風に弱い。いろいろと手は打ってきたが、肝心の寒い日に止まってしまうのは
どうしても納得できないでいる。建物の構造上FF式のストーブが駄目ならば、エアコンしかないかな〜とも
考えている。とは言え、私には金がないし、連れの懐具合を聞いてから考えよう。

12月13日
朝から大荒れの雨降りの天気だったが、病院の予約日だったので出かけることに。
連れと娘も同行してくれた。
診療は一か月間の経過報告と医師からアドバイス、こんな薬を上げましょうと言った程度。
56日分の薬をもらい、2月7日に再検査、異常がなければ次の段階に進むことにした。
診療が終わったころ、弘前のG寺のお住職夫妻が来ているとの電話があって急遽寺に帰ることに。
一杯お土産を持ってお見舞いに来てくれたそうで、先ずは家に上がって歓談。
G 寺さんのご住職も同病の経験がある方なので、いろいろと参考になるお話を聞かせもらった。
G寺さんが帰られたあと、連れと娘と三人で海鮮市場へ食事に行った・
お店のお勧めで魚のフライ定食を食べた。鯵のフライがとても美味しく、サラダも美味しい。
お刺身も付き、特に美味しかったのは鰤のじゃっぱ汁で、大満足の食事だった。
海鮮市場での買い物もし、連れは楽しかったのかニコニコ顔だった。

帰りのついでに市役所に寄ってもらって、気になっていたマイナンバー登録を済ませた。



12月12日
一日が終わるのが早すぎる。あれもしなくちゃ、これもしなくちゃと思っているうちに一日が
終わってしまうような感じがする。
連れはと見ると、娘に作ってもらった年賀状の宛名書きをのんびりとしている。
マイペースばあちゃんはこんな時に強みを発揮する。見習うべきだ。
明日は病院に行く。帰りにはマイナンバー登録でもして来ようかと思っている。


12月11日
テレビ報道で、防衛費の増額に伴う財源確保の増税の為に、一番先に揚げられたのは
たばこの増税だ。またか!と言う感じしかしない。
過去にも旧国鉄の借金払いの為に何回も増是されている。
嫌煙社会になって喫煙者もどんどん減ったが、いまだに喫煙している人は、いくら高くなっても
やめることはないだろうと、見透かされているようだ。
「何かあったらたばこ税」これしか頭に浮かばないぼんくら政治家共めと思ってしまうが
防衛費は必要と思うので多少なりともお役に立てるならと思うことにする。

日曜日なのに来客もなく静かな一日だったが、夕方になって郡山のOさんから、連れの
大好物のヨーグルト系の食べ物が届き、御礼の電話かたがた、暫らく近況を話しあうことが出来た。
来年には必ず遊びに来てくれることを約束して電話を切った。






12月10日
Kさんが来て寺の回りの掃除をしてくれた。一番大きな仕事は蜂の巣の駆除だったが
いとも簡単に取り除いてくれた。まだ、生き残っていた蜂もいたようだが、みんな弱っていて
よろよろ状態だったと言う。大きな蜂の巣で、ぶんぶん飛び回っていた頃もあったが刺されるような
被害もなく良かったな〜と思う。
今年もKさんは境内整備に本当によく働いてくれた。有難いと思っている。
何かの行事の折に、皆の前で感謝状の贈呈も考えている。



12月9日
元気印一杯のTルさんとM子さんが、昼食用の食材を抱えて遊びに来てくれた。
彼女らの持って来てくれたもので昼食をとりながら歓談した。
いろいろな話の中には見につまされることも多く、泣き笑いの歓談になったが結構楽しく過ごせた。
彼女らが帰った後は、急に家の中が静かになってしまって寂しく感じたぐらいだった。

ハタハタはどうしたのだろうか?ガフガフと音を立てながら腹一杯食べる日が来るのだろうか?


12月8日
神奈川県在住のY子さんから、奈良漬、シュウマイを含めいろいろなものが恵送されてきた。
毎度のことで本当にありがとう。
思えば我が家の食材はほとんどが皆様からの頂戴物で賄われているようなものだ。       
これは本当にありがたいことなのだが、連れはちょっと寂しそうにしている。
細々としたものは娘に頼んで買って来てもらって間に合っているのだが、たまには自分も
気に入りの店に行って、品物を手に取り、吟味して買い物をしたいのだろうと思う。
あかりストレスを溜めてしまわないうちに、そうした機会を作って上げようと思う。

手先の痺れは相変わらずだが、足腰は少し踏ん張りが利くようになってきた感じがする。
この ペースが続くと良いのだが・・・




12月7日
H堂さんからお菓子が恵送されてきた。季節に相応しいお菓子も含まれていた。
店主のSさんは高校お同期生なので、83歳なのに、毎朝早起きして菓子作りに励んでいる。
創意工夫も怠らず、老舗の伝統的なお菓子に加え、新しいものも生み出している。
頑張りには頭の下がる思いである。
早速御礼の電話をかけて話をしたが「お互いに死ぬ時が来るまで頑張るべな」で電話を切った。

12月6日
県に提出する書類の作成をする。昨年とほとんど変わらない寺の状況なのだが
一応新たに書き込んで提出をしなければならない。
これを提出しないで置くと課徴金が課せられることになっている。
うちのような規模の小さい寺などは「変わりないですか?」「ないです」など
電話で済ませても良いのではと思のだが、寺と言えば一様に同じようなものだと
とらえているのだろう。本当の状況を知りたいなら、足を運んで調べに来たら良いと思うのだが・・・

今日一日は底冷えのする寒い一日だった。


12月5日
新年の護摩祈祷案内状を、檀家さんや県内、県外の信者さんたちに送る準備が出来た。
明日早朝に郵便局に持ち込む予定。例年よりも少し遅れてしまったが、勘弁してもらうことにする。
手先の不自由さもあって、封筒詰めなどは連れの手を借りることが多かった。

日一日と寒さが強くなってきている。どうしてもストーブの前や、炬燵に籠りがちになる。
やらなければならないことが一杯あるのに・・・

ハタハタ大漁の朗報はいまだ無し。


12月4日
辛いことだがデスクワークに没頭した。ケツに火が付いた状態なので辛いとか、嫌だとかは
言っておれないようになって来た。


12月3日
手先の痺れは依然といて続き、いろいろなことで不自由を感じている。
特に困るのは箸使いとワードdの文章書きだ。イライラしているせいか文字変換もおろそかになることが
多々ある。ある人が「意味がわかるから大丈夫だよ」と言ってくれたことを良いことに
この日記も続けて行こうと思っている。しかし、大事な書類では、脱字、誤字は認められないだろうから
それを?思うとパソコンに向かう気力がそがれる。その分仕事が遅れ溜まっていく。
少しだが悩ましい日が続いている。


12月2日
今日も寒い一日だった。気温は1〜2度と低かったし、冷たい雨も一日中降っていた。
寒いのは気候だけではない。懐もなお一層寒くなりそうな気がする。
諸物価値上がりなどで景気が悪くなると、物価の値上がりと反比例すように、私が頂けるお布施の
額が下がるのだ。1万円だったのが5千円に、5千円だったのが3千円にとなった行く。
日常生活に不可欠ではないと思われることだけに仕様がないが、先ずは皆さんが心配のない生活を出来る
状態になって欲しいと願わずにはいられない。
食費や暖房費を節約し過ぎて体を壊すことなどないようにしてほしい。
政治の無策を云々言える立場にはないが、一般庶民が安穏に暮らせるおうな社会を作って欲しいと
強く念じている。



12月1日
ついに今年もあと1っか月となってしまった。何となく気忙しい日が続くことだろうと思う。
予報通りに雪は降ったが、積もるまでにはならなくて良かった。

昨日、供養をしてあげたTさんと一緒に来たSさん。Sさんのご主人は趣味で無農薬での家庭菜園をしているとの
話をしていたが、今日、早速にお大根と白菜を持って来てくれた。
どちらも立派なd出来栄えの野菜で感動した。早速夕飯で大根入汁を作ってもらって食べた。
「美味い!」の一言に尽きる。白菜は明日にでも漬物とか鍋物で食べることが出来るだろうと
期待している。
「Sさん、ご馳走になりますよ。また、お願いね」と都合の良いことを考えている。


11月30日
時々強風を交えながら、強い雨が降り続いた。明日には雪に変わると言う予報だ。
テレビでは来月の電気料の請求額が大変な金額になると報じられている。
じいさんとばあさんが、寒い日でもエアコンをつけないで、震えながら寝なければならないような
ことになるのだろうか。と心配しながら、今日も寝る前にエアコンをつけて
部屋を暖めている。連れに言わせれば「何とかなるべ」だ。


11月29日
暮れも近くなって、年末、年始の種々行事の案内状を作りたいのだが、指先の痺れが
何とも煩わしく、なかなか思うように進まない。
もともと苦手なデスクワークなので、ちょっとの失敗にもカチンときてしまって投げ出してしまう。
愚僧の最たる面が出てしまう。今年も愚僧のままで終わりそうだ。


11月28日
仙台のMさんからの電話で、母親が大腿骨骨折をしたとのこと。骨折は1か月ぐらいで治りそうだが
認知症が大分進んでいるので、再起は難しいのではないかと主治医に言われたとのこと。
私よりは4っつばかり年上で、とてもd元気な女の人だったが、認知症の兆候が表れると、どんどん
進んでしまったようだ。外交的で、どんどん外に出て活動する人だったが、コロナの影響もあって
活動範囲が狭まるのと並行するように病気が進んらしい。
今後とも安楽に暮らせるように手配をして上げたいと、Mさんは言っていた。
是非そうして欲しいし、手伝いが出来ることがあればしてあげたいと思っている。




11月27日
元気印満載のTさんが「和尚さん元気〜〜〜〜!」と言いながら訪ねて来てくれた。
いつものように私の好物であるコーヒーゼリーや食材を携えてだ。
「お〜〜〜!元気だよ」と答えながらこっちも元気が出る。
いつものことだが有難いことだ。

午後には、30日に供養を頼まれている女性二人が、場所を確認のためと言って訪ねて来た。
ナビの調子が悪く、あちこちを走り回り、北浦や温泉郷の方まで行ってきたらしい。
お茶を飲みながらいろいろと話し、今日来ておいて良かったと言いながら帰って行った。

ハタハタについての朗報はいまだ無し。大丈夫かな?


11月26日
ハタハタ漁が心配になって来た今のところ何処でも獲れたと言う話を聞かない。
沢山の方が待っているのにと思うと心配になってくる。
いつもだと「どごさおぐればえ」と声をかけてくる漁師さんに電話してみると
「う〜〜ん、何とも言われねな」と言いながらも、「和尚さんの拝みが足りねんでねすか」と
言われてしまった。なお一層念じなければ私の責任になりそうだ。

11月25日
抗がん剤治療が終わってから3か月が経過したが、手足の痺れはまだ続いている。
でも、自分の感覚では少しずつではあるが、良い方に向かっていると感じている。
今日も天気が良くて暖かかったので、外に出て少し歩いてみた。よろめくことがあっても
踏ん張りが利くようになって、転倒までには至らないほどになっている。
日にちをかけて良くなる時を待ちたい。焦らずに。


11月24日
昨日に比べて静かな一日。
免許更新に必要な認知症検査と講習を申し込んだら、4月の初旬だとのこと。
そんなに混んでいるのかとびっくりした。出来るだけ3月中に出来るようにお願いしておいた。
諸物価の値上がりは頭の痛くなる話だ。特に灯油代,電気料の値上げは厳しい。
老人にとって暖房費の節約は厳し過ぎる。
冗談ながら、連れと日中はパチンコ屋さんでうろうろしていようかなどと話しあった。
連れも調子が良い方だから、それも良いかもなんて笑っていた。

11月23日
青森のKさんの奥さんJ子さんと、五所川原のYちゃん夫婦が午前10時ごろ到着。
沢山のお土産と料理屋を営むYちゃんが作ったご馳走が11種類も持ち込まれた。
彼らが本堂を掃除してくれている間に、私と連れはYちゃんが持って来てくれた大きなカレイの煮付けで昼食。
少し前、連れに「大きな肉厚のカレイが食いてえな」と言っていたのが今日叶って大満足。
祈りは叶う。願いは叶うを再確認した。
秋田で控える二人との食事会も予定していたようだが、秋田まで出掛けるのは遠慮させてもらった。
賑やかな一日だったが、楽しい一日でもあった。


11月22日
何をしてもいまいち乗りの悪い一日だった。
PCに向かっても書類の整理をしていてもすぐに飽きる。テレビを見ていてもすぐ別のことを仕出し
何もかも中途半端で終わった一日だった。こんな日もあるんだな〜。

11月21日
青森のKさんからの電話で、23日にKさんの奥さんと秋田から二人が加わって、本堂の掃除を
するために来ると言うことになったとのこと。
秋田から来る一人は料理人なので、掃除が終わったら美味しいものを作って、私にご馳走してくれるのだと言う。
どんなことになるか想像も出来ないが、楽しいことになるのは間違いない。
期待大なり!


11月20日
地元台島のS家の法事を行った。3回忌の供養をした精霊のSさんは、長い間護持会の副会長を
務めてくれた方で、めりはりの利いたはっきりとした意見を言う人で、護持会の為に大いに
働いた人だった。法要後の法話の中で、施主のT君に「親父のように働いてくれよな」と声をかけると
「うん、うん」と頷いてくれたのは嬉しかった。


11月19日
T君の妻、Mさんの7回忌法要を行った。MさんとT君は、Mさんの不治の病を知りながら
結婚した相思相愛の仲の良い若い夫婦だった。
39歳で亡くなるとき、Mさんの希望で檀家さんではなかったが私が導師を務めて葬儀を行った経緯がある。
6年前ではあったが、当時でも想像出来ないほどの会葬者が多く、秋田市内の大きな葬祭場で
会場から人があふれ出す様な状態で、T君夫婦の人気度が伺われる葬儀だったことを思い出しながら
今日の法要を務めさせてもらった。盛岡からかけつけて参列したお母さんも
とても喜んでくれて、また、参列者も多く、良い法要になったと思う。



11月18日
1日ごとに寒さが増して行くのに居間のストーブの調子が悪い。煙突式の灯油ストーブなのだが
風の強い日には止まってエラーが出る傾向が強かったストーブなのだが、我慢しながら
長年使ってきた。取り替えるにしても建物の構造上、やはり煙突式しか対応できないらしく
それならエアコンが良いかな?と考えてもみるが、連れと意見が合わない。
どちらにしても暮れも近いので、早めの結論を出さないとならない。
次から次と悩みは続く。


11月17日
苦手なデスクワークが続くようになるが、手先の痺れが何ともイライラする。
食事の時も箸がうまく使えないのでイライラしている。
このイライラはいつになったら解消できるのだろう。


11月16日
年末が近くなると、年賀状の作成や祈祷の案内状などパソコンを使う機会が多くなるのだが
そんな時に限って不具合も多くなるから不思議。
今日もいろいろとイライラさせられることがあった。

青森のKさんから、羊毛で作られた敷布と毛布が送られてきた。
早速敷いて寝てみると、暖かいこと、温かいこと。凄いな!これは。と思った。
ありがとう!K先生。この冬は寒さ知らずで眠れそうです。

11月15日
連れと娘が付き添い病院へ出向く。検査とかはなく、1ケ月間の経過報告みたいな感じで
主治医と話し合い。手足の痺れ、特に指の痺れの酷さを訴え、薬を考えてもらう。
主治医との話を終えた後、薬剤師のOさんに会ったので、現状を話すと、個人差はあるが必ず良くなるので
心配しないようにと言われたので安心した。
薬局で薬が出来るまで時間があるだろうと言うことで、近くにある海鮮市場に寄って食事。
3人でタラ鍋を食べた。外で食事をしたのは1年ぶりぐらいかな〜と 思。美味しかった。
連れは市場での久しぶりの買い物で喜々としている。
高価な筋子やのどくろの刺身を買ったりで、帰りの車の中で「気持ちえがった〜〜!」と言って
すっきりした顔をしていた。思い通りの買い物で、ストレス解消になったのだろう。
晩飯は早速筋子とのどくろの刺身で頂いた。美味しかったです。(笑)


11月14日
Fさん家の葬儀を11時から、位牌堂でおこなう。
想像していたよりも参列者が多く驚いた。最近では珍しいくらいの多くの参列者だった。
頑張って来た喪主のAさんに、親戚縁者たちが応援したのだろう。
豪華な華も飾られ、97差で逝ったおばあちゃんも喜んで旅立ちが出来たのではないだろうか。
「派手な葬式になってしまったけど、私自身はお金がないんです!」と悲鳴に近い声で
恐縮してお布施を差し出すAさんに「頑張ったな〜」と声をかけて、快くお布施を頂いた。

11月13日
朝一番で青森県木造町に住むKさん夫妻が訪ねて来てくれた。朝5時に発ってきたと言う。
久しぶりの再会で話題も弾み、次の予定も少しずらしてもらって話し込んンだ。
Kさんたちと話し込んンでいる間に、娘の旦那が冬タイヤに交換してくれた。
タイヤ交換が終わったころにKさん夫妻が帰って行ったので、次の約束地の連れの実家に向かう。
運転は娘の旦那にお願いし、自分は助手席、娘と連れは後ろの座席に座り、家族4人ンではなしあいながら
義実家に向かう。
義実家では義母の50回忌法要を行うと言うことで、義母も私から拝んでもらう方が喜ぶだろうと
義兄夫婦の心配りで、私が導師を務めさせてもらった。
義兄夫婦も大変喜んでくれて、お昼もご馳走になり、帰って来た。
帰りは土砂降りの雨になあったが、運転の旨い義息子に安心して委ねて帰ることができた。
帰宅後は明日の葬儀の準備で、書き物や本堂の荘厳に時間を費やし、夕食も少し遅めになってしまった。



11月12日
9月に亡くなったH子さんの忌明けの法要を行った。
家庭の事情もあってか二人だけの参列で少し寂しい法要になった。

町内のFさん宅のおばあちゃんが亡くなったとの方が入った。
一月ぐらい前から今日明日と言われていたのだが、今日まで頑張ったのだろう。
明日火葬するからその後すぐに葬式をしてもらいたいと頼まれたが
火葬後一日ぐらいは自宅へ置いてあげるようにと聡し、14日に葬式をすることにした。
喪主を務めるAさんは長い間女手一つで家を支えて来たので、家庭事情も考えて
質素に簡単に済ませたい気持ちだと思うので、それに応じて葬儀を営みたいと思ている。




11月11日
連れと結婚式をいたのが昭和39年の11月11日で、59回目の記念日なのに
すっかり忘れていた。娘がケーキを買って来て、おめでとうと言ってくれるまで知らないでいた。
一月から手術だ、抗がん剤治療だと忙しかったこともある。
来年は60回記念としてしっかりお祝いしようと思い、連れにも話して納得いてもらった。


11月10日
本堂の向拝に作られた大きな蜂の巣で、少し前までは蜂の行動も活発であったが、寒くなってきたこともあって
蜂が飛び回ることも亡くなって来た。時々巣のしたの地べたでよろよろした蜂が動き回っていることがあるが
すっかり弱っているようだ。あれほど威勢が良くて、怖かったものだが、今の様子を見ると少し可哀そうにも
思ってしまう。夏の間、働きづめに働いていたのに・・・
もうここには巣を作らないで欲しい。


11月9日
昨日と違って静かな出だし。と思っていたら、頼んでいたものが次々と届く宅配便のお兄ちゃん達との
対応が忙しい日になった。パソコンに向かって何か始めるとピンポンが鳴ることが多く、そんな時に限って
連れが傍に居なかったりする。
今日の最後に届けられた大きな荷物はGtらさんからで、リンゴやジュース、花梨など、有難いものが
一杯埋まったものだった。密の入った美味しいリンゴをご馳走になってから
御礼の電話をかけた。明るい元気な奥様に励まされて嬉しかった。


11月8日
Tちゃん、Mちゃん、Yちゃんと80歳になってもちゃんづけで呼び合う、パワフルなばあちゃん3人が
遊びに来てくれた。話題も多く、泣き笑いの話が4時間ぐらい続いて、彼女らが帰った後は
急に家の中がし〜〜〜んとしてしまった。
うつらうつらしているうちに本格的に寝てしまったらしく、442年ぶりと言う皆既月食も見逃してしまった。


11月7日
娘に来てもらって、居間に炬燵をセットしてもらった。
これで冬支度は大体整ったような気がする
炬燵へ潜り込んでのうつらうつらは本当に気持ちが良い。誰にも邪魔をされたくないものだ。

11月6日
好天ではあったが寒い一日であった。
日曜日だったが珍しく来客もなく、ストーブの前でうつらうつらしていることが多かった。
手足の痺れもなんのその食欲だけは旺盛で、食べ過ぎの注意が必要なほどだ。
怠けている分、また書類などが溜まって来た。
明日は少し整理しよう。


11月5日
S・Tさんがサキホコレが手に入ったからと言って、五城目町から車を飛ばしてとどけに来てくれた。
2〜3相談事に応じたら、お布施までおいて帰って行った。
今は宮城のヒトメボレを食べているが、近いうちにサキホコレが食べられると思うと嬉しい。
午後にはR子さんがK子さんから頼まれてと言って、里芋の茎付きを沢山持って来てくれた。
里芋の茎が好物の私を思って毎年この時期に届けてくれるので有難い。

そのあとで月命日のお布施を届けに来たFさんにお裾分けしたら、とても喜んでくれた。
みんなが喜び合った良い一日であったように思う。





11月4日
秋田市にある本念寺が本堂と庫裏を含めて全勝したとのニュースが流れた。
びっくりした。すぐにでも駆け付けたい気持ちにかられるが、足の不自由な身ではどうにもならない
小学1〜2年と5〜6年の4年間はほとんどこのお寺でお世話になっていた記憶が蘇って来て
何で?何で?と怒りにも似た気持ちが沸きあがって来る。
実家の菩提寺でもあるが、住職も何代も代わっており、私がお世話になっていた頃とは
お寺の雰囲気も変わったており、加えて私の兄の死後、義姉との確執もあって、実家の仏事にも参加
出来ない状態で、本念寺に行くこともなくなっていたので、殊に驚いてしまった。
一日も早い再建を願うばかりだ。


11月3日
午前11時からF家の法事、午後2時からはS家の法事を行った。
両家とも参列者も多く、準備も丁寧で、気持ちの良い供養が出来たと思う。


11月2日
溜まっていた書類やダイレクトメールなどの整理で一日を費やす。
ダイレクトメールは目を通すと結構気に入りのモナがあったりしても、買えないから
イライラすることが多い。結局はまとめてポイにした。

11月1日
明後日に午前と午後、2件の法事が予定されているので、塔婆の浄書をした。
手の痺れで、それでなくても悪筆なのに旨く書けなかった。供養する精霊たちに申し訳ないような気がする。

寺務所兼応接間のストーブの取り換えが終わった。新しいストーブは燃え具合も良く暖かい。
「すぐに請求書を上げて下さい」と景気よく言ったが、急に懐具合が寒くなった気がした。
懐の寒さはどんな良いストーブでも温まらないよね。




10月31日
今年も残り2か月となってしまった。1月の手術、3月から8月までの抗がん剤治療、その後2か月は
副作用の手足の痺れのために動きが取れず、自分では何とも情けない一年を過ごそうとしている。
この間、多くの方の励ましや物心両面にわたるご支援も頂き、今日に至っている。
私に出来るご恩返しは、縁ある方々の幸せと安寧を祈ることしかない。
不自由なことは多々あるが、新年特別護摩祈祷の準備に入ろうと気を強く持っている。


10月30日
K家の法事を位牌堂で行った。本当は11月30日の予定であったが、施主の奥さんの
奥さんの白内障手術の予定と重なったということで今日になった。
元気な奥さんで目の病気など考えられなかったが、手術が無事い成功して良く見えるようになって
欲しいと思う。

ストーブの不完全燃焼で、本堂内が煤だらけになってしまった。
連れが必死になって掃除したが、暫らくは足袋などが黒くなってしまうこともあるかと思う。
手伝いが出来ない自分が情けない。



10月29日
S子さんがKちゃんと小熊のようなわんこ(ベアー)を連れて遊びに来てくれた。
S子さんは糖尿病が心配で、食べ物には気を使っている人だと知っているはずなのに
私の連れはお構いなしのように、自分の作ったものをどんどん勧めいていた。
Sさんも最初は困ったような顔をいていたが、結構喜んで食べてくれていた。
Kちゃんはサザエの炊き込みご飯が気に入ったらしく、何回かお代わりをしていた。
二人の喜んで食べてくれる様子に、連れは満足そうな顔をしていた。
「また、来るね」と二人が帰った後は急に静かになってしまったが、楽しい余韻は残って
良い一日だったと思う。

10月28日
来客予定もなく、のんびりの一日。
そろそろ年末年始の準備の資料も作らなければならないのだが、手先の痺れを理由にして
先延ばししている。付けが回ってきて後々苦労するのは分かっているのだが・・・
今日一日は食っちゃ寝る、食っちゃ寝のぐうたらな一日を過ごしてしまった。



10月27日
カステラを置いて行ってくれた人が判った。いつも洒落たお菓子を届けてくれる秋田市内に住む
Fさんだった。Fさんじゃないかなと思ってはいたが、「おいてきたよ〜〜”」的な文面でファックスも入っていたので
これで安心して食べられる。

事務所兼応接間のストーブの具合が悪いので、いつもお世話になっている電業社さんに来てもらった。
12年ぐらい経っているストーブなので、修理よりは取り換えの方が良いのではないかと
自分なりには考えていたが、電業社の方の意見も同じだったので、取り替えて貰うことにした。
本来はこうした経費負担は護持会の責任なのだが(護持会規約によれば)如何せん護持会には金がない。
寄付集めをしようかと言う役員もいるが、今の世情や年末が近い物入りの時期では反感を買うだけだから
やめるようにと言い、結局は自前ですることにした。骨山の和尚の懐は冬を迎える前に寒くなりそうだ。
あ〜〜〜あですな。


10月26日
玄関に長崎の福砂屋のカステラが置かれていた。居間でうとうとしていて気づかなかった。
誰がおいていってくれたのだろう。
早く食べたいのだが、おいて行ってくれた人がわかるまで待つことにした。
早くわかって御礼を言いたい。


10月25日
Kさんからブリの刺身と、アオリイカが差し入れられた。
アオリイカは連れがさばいてお刺身にした。
昨日も体重増加を心配していたが、やはり旨いものには勝てず、たっぷりと頂いてしまった。
今日も気持ちと行動が裏腹な愚僧がいる。


10月24日
最近は食欲旺盛で、何でも美味しく食べらえれるようになった。
心配は足がうまく動かないうちに太ってしまうことだ。足の痺れがなくなり、シャキシャキと歩けるように
なるまでは体重を増やさないように注意をしたいが、どうも食欲に負けそうな気がする。



10月23日
本堂の玄関の軒下に大きな蜂の巣が出来ているのを見つけびっくり。
今年は百日紅の花が良く咲いて、その枝が本堂の軒下までのびていたので気づかなかったのかも
知れない。百日紅の花がすっかり散って、蜂の巣が現れたのだろう。
巣には蜂が一杯すがりついていて、今は手の付けようがない。
KさんやAさんとも話し合ったが、冬になってから取り除くことにし、それまでは注意して
行くことにした。が、心配だ。




10月22日

断続的に強風と雷を伴った雨。嵐のような午前中の天気。
そんな中、護持会の主要メンバー4人が集まって話し合いをしていた。時々意見など求められたが
話し合いには参加しなかった。

正午から秋田商業と明桜高校のサッカーの県予選決勝の放送があるとのことで楽しみにいたが
豪雨のため開始が一時間遅れるとのこと、2時から法事の予定なので、観戦は断念。

2時からは予知通りA家の法事を行い終わってからテレビを付けて見たら、サッカーは中止となり後日に延期されてとのこと。

4時過ぎ、T君が来て、奥さんの法事を11月19日にやって欲しいとi依頼されたので、お受けした。

何やかや忙しい一日であったように思う。

10月21日
どうしたら歩きだせるのか
判らない状態になった。一歩一歩慎重に何とか一日を過ごした。
電話に出ると「元気そうですね」と言われるので「はい!元気でと答えるのがちょっと辛い時もある。
午後には、同じ病気で、一月ぐらい前に手術したK恵ちゃんと
電話で話をしたが、やはり同じような副作用が続いているという。
同病相哀れむかと思いながら、慰めあい、励ましあって行くことでお互い納得して電話を切った。





10月20日
注意しながらの行動は今日も続く。この日記も一本指でポチポチと押しながら書くので
時間がかかる。心配してくれる方々に怒られないように、毎日の状態をお知らせしながら
書いている。お恥かしいことばかりだら、気が重くなることもある。

体が思うように動かない分、いろいろと頭に浮かぶこともある。
すぐにメモ書きしているが、おいおいとまとめた文章にしてみたいと思っている。





10月19日
朝起きて、枕元のラジオをつけようとしたら、指先ががしびれと言うよりも無感覚の感じで、一回では
旨く行かなかった。
連れが持って来てくれたコーヒーを飲もうとコップを何気なく持ち上げたら、ポロンと落としてしまいベットの上だったので
一騒動。朝食では茶椀を落としてしまい、ご飯は床へ落ちてしまい、大慌て。
それからは一日中注意に注意を重ねて失敗のないようにして過ごした。
新しく調剤してもらった痺れをとる薬と、抗がん剤の戦いなのかと思いながら、様子見の
日が続くのかも知れない。

10月18日
朝の食事もしないで8時半前に病院到着。8時40分ごろからCT検査をし、その後
主治医からいろいろと説明を受けたが、転移の跡もなく、癌と思われる部位もないということで
暫らくは経過を見て行くだけで良いのではないかと言われ、ほっとした。
手足の痺れは少し時間がかかるかもしれないが、抗がんの結果の産物なので
少し我慢して欲しいとも言われたが、それなりの薬は用意してくれるとのことだった。
ストーマ封鎖手術に関しては、足腰がしっかりして元気な生活が出来るようになったからに
しようと言うことで先生も私も納得した。
何となくではあるが、生きがいを見いだせたような感じで、気持ちも高揚し明るい一日になった。


10月17日
明日は病院で検査予約が入っている日。さて、どんな結果が出るのやら?


10月16日
天気も良くて暖かいので、外でにゃんこたちと日向ぼっこ。
そのあと家に入ってうとうとしていたら、本眠りになったらしい。
え〜あんだが?大丈夫だが?」と
声をかけられたときは午後4時近くなっていた。
暇に慣れてしまうことは恐ろしい。


10月15日
例年この時期になると暇になる。相談事で訪ねてくる人も少なくなる。
正月の新年祈祷や節分の星祭で祈祷して、一年を無事に過ごせそうだと
安心感があるからだとある信者さんが言っていたことを思い出す。
お札を作ったり、案内状を出したりの準備を始めなければならない時期に来た。
18日の病院での検査結果を見てから、計画の練り直しをしたいと思っている。

10月14日
恩師のお寺から、宮城米(ひとめぼれ)が送られてきた。待ち焦がれていたので嬉しい。
早速電話をして御礼を言った。今の住職は恩師の息子さんだが、恩師亡き後も従来と変わらない
お付き合いをさせてもらっている.。私の息子と同年代であるが、私とは兄弟弟子になるが
彼は得度が私より早いので兄弟子になる。事相、教相ともに秀でているので教わることも多い。
これからもいろいろとお世話になることだろうと思う。
私の病気のことをとても心配してくれるので「大丈夫。元気だよ」と答えると
「よかった〜〜!」素直に喜んでくれた。ありがとう。


10月13日
天気は良いが気温が低く寒い一日だった。
昼過ぎになって「和尚さんの顔を見に行く」と言っていたTさんが来てくれた。
相も変わらず沢山の食材を持ち込んでくれた。好物を言ってあるので、私の好きなものばかりで
有難い。ついつい甘えてしまう自分が恥ずかしい。
「和尚さんの元気な顔を見たからもう帰るよ」と言ってあっという間に帰ってしまった。
何とも腰の軽い人で、引き留めても仕様のない人なので、「じゃ、また来てね」でお別れ。
往復2時間もかかるのに大儀がらずに、時々元気を届けてくれる。
本当にありがとう。

メールでは「ちゃんと歩いてる?」とか「ちゃんと食べてる?」など私がサボりがちなことを指摘してくる
物が多い。何処かで皆に見張られているような感じさえする。
皆さんありがとう。





10月12日
娘が連れと私にと暖かそうなジャンパーとその下に着るセーターを買って来てくれた。
娘の一存ではないと思う。娘の連れ合いが優しい男なので有難いと思っている。
昨日のこともあるのでワードで文章書きは今日はしないことにした。
もう少し気合の入った時にしようと思う。
午前中は大リーグの野球を見て、午後からは趣味に没頭した。とは言え
没頭した割には満足感は得られなかった。




10月11日
失敗続きの一日。ワードで文章を書き、65枚も印刷してから間違い箇所に気づいたり
食事中にぽろぽろとこぼしたり、たばこを落としてズボンい穴をあけてしまったり・・
指先の痺れで不自由さが半端でない。そうこうしている時に仙台のK恵さんから電話があって
いろいろと話をした。彼女は私より一月ほど前に大腸癌手術をいているが、抗がん剤治療の
副作用で苦しんだ経験があり、抗がん剤治療は途中でやめているが、副作用はいまだにあって
いろいろと苦労しているとのこと。同病相哀れむの感じでいろいろと話し合ったが、彼女は
とても元気な声で、「頑張ろう”」と励ましてくれた。落ち込んではいられない。




10月10日
ハーモニカは見つからなかったが、良く遊んでいた、けん玉が見つかった。
これは膝の屈伸運動にもなるし良いのではないかと思い、めのつくところに置くことにした。
このひょろひょろ状態から早く抜け出したい気持ちで、いろいろと挑戦はしてみてはいるが
何ともじれったい日が続く。




10月9日
足の痺れと手先の痺れは相も変わらず続いている。特に手先を使う作業には手を焼いている。
退屈しのぎに楽器をいじろうとしても、三味線やギターはつぼをうまく抑えることが出来ず
様にならない。
連れが引っ張り出してきたキ‐ボードをいじってみると、指一本でぽつぽつと音を出すと
何とか遊べる。古〜い歌だが「ギター仁義」を弾きながら歌ってみたら、自分でも
「いけるじゃん」と思って悦に入った。何でもやってみることだと思った。連れが
ハーモニカはどうだろうと言うから、ハーモニカもどこかにあるはず。捜してみよう。




10月8日
護持会会計のSさんが来て2時間ばかりの対話。
護持会立て直しに力を貸して欲しいとのことだが、本来住職を助けるべき事由で出来た
檀家の組織で、護持会自体が考えて答を出して行くべき問題だろうと突き放した物言いを
してしまった感じもする。前回話し合ったときと何も変わっていないことに、少し腹も立っていたからかもしれない。
住職は代わることは出来るが、檀家は代々つながって行くのだから、将来的にお寺を維持できるように
檀家のみんなと話し合うことが先だろうと思うので、その旨を話してやった。
納得したのかどうかわからないが「また、来ます」の言葉を残して帰った。
同じ話の繰り返し、2時間もの長話、少し疲れた。
昼食後、軽い昼寝の積りが、夜の8時まで寝てしまった。連れもあまりよく寝ているので
起こすのをためらったと笑っていた。





10月7日
ある檀家さんから「コロナのために誰も来てくれないので、今回の法事は無しにしたいのですが」と言われ
あれ?前の時も「あなた一人じゃなかったですか?」と言いたくなったが、「コロナが収まったら
一年遅れも良いから」と言ってあげたら、ほっとしたような感じで電話が切れた。
コロナも都合よく使われているようです。ご先祖様もがっかりでしょうkら、御命日には
お寺で拝んであげましょうと思う。
ケチったお布施はどこへ回すのでしょうか。良いことに使われると良いのですが?




10月6日
気のう、今日と異様な寒さが続いている。今からこんなに寒くて、本格的な冬になったら
どうなるんだろうと心配になる。
コロナの感染者も一向に減る気配がない。県内でも述べ10万人を超えたという。
秋口に流行るインフルエンザとのダブル感染も心配されている。

物価の高騰も問題になっている。私たち老夫婦二人だけの生活だと買い物も少なく大きな
影響は受けていないような気がするが、家族の多い人なんかは大変だろうと思われる。
自給自足を無視し、何でも外国から買えば良いでやって来た付けが大きい原因だろうと思う。
それでも買えるうちはまだ良いかも知れないが「あれも、これも日本には売らないよと」言われたら
この国は一体どうなってしまうんだろう。




10月5日
昨日一日はbぽ〜〜っとした日を過ごし、特に記すこともないと思って何も書かなかったのだが
今日になってY子さんから具合でも悪いの?と電話があったと連れから言われた。
Y子さんに限らず、あちこちから電話があって、元気なの?大丈夫?とか聞かれたらしい。
メ〜ルも9件も頂き、中には「飯食った」「昼寝した」など一行で良いから何か書け!と
書いてあるメールもあった。こんなにみんなが心配してくれているんだと思うと、負けてなんか
いられないと思う。

そのY子さんからヒレカツをはじめ美味しい食材が送られてきた。
早速晩御飯んで頂く。ご馳走様です。ありがとう。


10月3日
昨日は大谷の活躍に感動していたが、今日はヤクルトの村上が、とうとうあの王さんの
記録年間55本塁打を抜いて56本塁打を記録し,併せて三冠王を獲得した。
若干22歳での快挙だ。
彼らに限らず、各界、各方面で若い人の台頭、活躍が目立って来た。
頼もしいことだと思う。










10月2日
エンゼルスの大谷翔平が来季年俸約43億円で契約したと、大きく報じられた。
一人で一流投手と一流打者が二人いるような活躍をしているのだから、当然のと言いたいところだが
それにしても凄いことだと思う。
30歳に満たない若者が、43億も稼ぎ、半分以上は税金だと言っても、税金は国民のために使われるのだから
社会貢献度も大きいはずだ。テレビで見ていても好感が持てて、本当に良い青年だと思う。
ケガをせずにもっともっと頑張って欲しい。





10月1日
今日から10月だが、天気も良くすっきりと晴れ上がった秋晴れの気持ちの良い一日だった。
娘が来てくれて、寝間のカーテンの取り換えをしてくれた。
断熱性のあるカーテンだとか。今年の冬は暖かく過ごせそうな気がして嬉しい。


9月30日
9月も今日で終わり。朝晩は結構冷え込むようになった。ついついエアコンや
ストーブのスイッチを押してしまう。

Tさんから素敵なスエットを送ってもらい、さっそく着て寝ることにした。暖かそうで
良く眠れそうな感じがする。食べ物から着るものまで心配してくれるTさん。
本当にありがとう。

船越のSさんがわざわざお布施を届けに来てくれた。少し遠いのと最近の体調を考えて
行けない日が多いのだが、毎月届けに来てくれる。
檀家さんが皆こうだといいのにな〜〜などと思ってしまう。愚僧。







9月29日
昨日のこともあるので、今日は何もしないで静かに過ごした。
動きも最低限動かなければならないことだけにした。毎月行くことになっている
檀家さんにも断りを入れて勘弁してもらった。
退屈はしたがそれなりに良い日を過ごせたように思う。体調も思いの外
良かったように思う。





9月28日
車に積みつ放しにしていた買い物用の車を持って来て、歩行補助に使ってみた。
「お〜〜〜”」と思えるほど、大股でも歩ける。本堂内をぐるぐる回って歩いてみた。
これなら訓練になるなと思ったが、急にやり過ぎたせいか、夕方には足にむくみが出て
重苦しく不快な状態になった。一気にやらずに少しづつにしようと思う。






9月27日
千葉県在住のOさんから、山梨県産のシャインマスカットが惠送されてきた。
荷ほどきをしてすぐ一粒を口に入れてしまった。「うめ〜〜」と声を上げたら
連れも食べ始めた。
「いけね〜”仏さまに揚げてね〜〜よ」・・・
普段は頂き物は魚類は別としてお菓子、野菜、果物、酒類は必ず仏さまに奉仕し、一座法楽を修して
恵送者の安寧をお祈りしたのち、私たちが頂くようにしてるのに・・・
今日は卑しい愚僧になってしまった。早速お詫びに本堂に向かう。

昼にはTさんがお寿司やお刺身を持参で訪ねて来てくれた。この人には「食べたいものは?」と
聞かれれば「あれと、これと・・・」と遠慮なく言うことにしている。
「元気な顔を見て安心した」と言って昼食後さ〜〜と帰ってしまった。
腰の軽い人で長居はしないが。ちょくちょく来てくれて、元気づけてくれるのは
本当にありがたい。




9月26日
画面がどうしてこうなってしまうのか、今いちわからない。きっと押さなくてよいところを押してしまっているんだろな。
昨日は精一杯動いていたから、すこし疲れが残っているような感じがする。
また、今日は掌の皮剥けがひどい。これも副作用なのかと思う。経験者の話だとそうらしい。日にちをかけて元に戻る日を待つより仕様がないそうだ。
短気を起こさず、我慢、我慢が大切なようだ。



9月25日
葬儀の準備も整い、参列者もそろったと言うので、予定より少し早めの午後一時から行った。
葬儀後すこし休憩し、中院ほ法事もおこなった。
全て終了後、H子さんにつけた法名について、私の気持ちを伝えた。嫁さんも納得したようだった。
納骨後、「ちょっと家に行ってきます」と言うので、私もお布施の包み替えだとすぐに分かったので「はい」と
答えておいた。すこし時間をおいてお布施が届けられたが、息子さんの名前が書かれ、
「これからの仏事は息子に責任を持ってやらせます」と言っていたので、私も了解した。
お布施は思っていたよりも過分に入っていた。これからはあの家庭も穏やかな良い家庭になるだろうと
連れとも話し合った。

葬儀が終わって落ち着こうとしたところへ、高校同期のKが訪ねて来てくれた。
kはいまだに野球をやっていて、昨日も試合で投げて来たと言っていたほど、元気満杯の男で、いろいろ近況を話しているうちに私も元気が出て来た。ありがとう!k”



9月24日
葬儀センターから位牌や塔婆類が届いたが、喪主を務めるであろう嫁さんとは、一度も会わずに
電話だけの話し合い。その話の中で、H子さんの娘が「良い戒名はいらないから」と言っていると言う。
その人は葬儀に来るかと聞いたら来ないと言う。要は何でもいいから安くやれということだろう。
明日、火葬場から遺骨を持って行くので、午後2時から葬儀をしてもらいたいと言うから了承した。
H子さんには何の罪もない。先に亡くなっているご主人に沿うような法名をつけて
懇ろに送ってあげたいと思っている。




9月23日
S・H子さんが亡くなったと連絡が入った。家庭事情の難しい家なので、どんな形で送るのか、喪主を誰が務めるのか
なども問題だ。一応連絡をくれた嫁さんを喪主と見立てて、準備を始めようかと思ってはいるが・・・
葬儀は私の体調を考え、寺で行うことだけは決めた。どんな形になろうと、こちらの準備はしなくてはならない。





9月22日
土地の風習の頑固さは恐ろしいくらいだ。ここへきて30数年にもなるが、毎年秋彼岸もお寺参りやお墓参りは
した方が良いよと勧めて来たが「こごは秋彼岸はしね」の一点張りだ。
花屋さんも口説いていた。「秋彼岸だば花は全然売れね」と。
寺は花を買い、お供物を備え、ご霊膳をあつらえて、本尊様をはじめ諸仏、諸菩薩を供養し併せて檀信徒代々精霊の供養を
しているのに「秋彼岸はしね〜」では話にならない。教化力不足と言ってしまえばそれまでだが・・・
彼岸に入って布施収入は¥2000−。大赤字だ〜〜〜と愚僧の口から愚痴が出る。



9月21日
抗がん剤治療の始めに言われていたことだが、コップを持ったり、ボタンをかけるのに不自由することも
あるようなことを言われていたが、今頃になってそれが出て来て不自由だ。頑張って連れにも頼らずにしているが
はかばかしくないのでイライラが募ることがある。
半面、あれほど辛かった口内炎がすっかり良くなって、食べるものが美味しく感じられっようになった。
指先が不自由なので、こうして文章を書くにもボードへの押し間違いが多くて何回も書き直している。
我慢をして続けないと、これも出来なくなってしまうだろう。我慢、我慢の毎日だ。



9月20日
連れと娘に付き添われ病院に行くことにした。久しぶりに外へ出て眩しい。
階段を降りるのには怖さを感じたが、何とか無事に降りることが出来た。
病院につくと先ずは採血検査。威張ってる看護師は採血が下手だと言われているらしいが、今日はそれに当たって
しまったらしく痛かった。(笑)
採血検査票を持って外科外来受付へ行き暫らく待っていると、院長が直接呼びに来てびっくり。
採血検査では異常は認められないがと言いながら「体調は?」と聞かれたので、手足の痺れがひどく、特に足の痺れは
歩行困の状態のあることを話し、これを何とかしてくれと訴えた。
10月18日にCT検査などをすることにし、それまでは体調回復に全力を尽くすことにし、いろいろと薬を考えてくれた。
家に帰ってほっとすると眠くなり、夕方までぐっすり眠った。快適な目覚めで、テレビでの相撲観戦も楽しく出来た。




9月19日
昨日はいくらあがいてもうまくいかず、書き込んだこともうまくサイト公開までたどりつけず
終わってしまった。きっと変なところを押してしまっていたんだろうなと思う。

そろそろ冬支度もと思い、連れと娘が居間に敷く絨毯などを買いに出掛け、一人で留守番。
絨毯を敷いたら、その上に大好きな炬燵を置く。あとはストーブが順調に働いてくれれば良いのだが・・・
電気料も灯油も高い今年の冬は大変な出費になるだろうと思うと、心持が寒くなる。








9月17日
一年先輩の K・Fさんが なくたったと知らせが入った。Kさんは子供のころはやんちゃで体も大きく
少し乱暴なところがあった。小学一年になって、登校途中でよく合い、いきなり殴られてびっくりもしたが
吃音で友達も少なかった自分をかばってくれて良く遊んでもくれた心の優しい人でもあった。
小、中、高校と同じ学校を歩んだが、いつも声をかけてくれた。
Kさんはサッカーで頭角を現し、ず〜〜とサッカー界で過ごしていた。葬儀には参列出来る状態ではないが
いずれご自宅に弔問したいと思っている。Kさんのお店のお菓子も食べたいお思っている。







9月16日
義姉の訃報を新聞のお悔み欄で知ったのが昨日のこと。
甥っこからは何の連絡もない。子供たちだけで葬儀を営む積りなのだろうと解釈はしているが
どんなんだろう。
体調を考えれば、連絡があっても葬儀参列は無理だと思うので、後で実家にお悔みに行こうとは思っているが
もともと義姉とは仲も良くなかったので、それを知っている子供たちが遠慮したのかも知れない。

抗がん剤治療の副作用と思われる手足の痺れが一向に治らない。
転倒したくないから歩くのもちょぼちょぼと足を運んで歩いているが、何とも様にならない。
手先の痺れは持ったものを落としたりして、お茶をこぼしたりしている。
経験者の「焦らないで日にちをかけることだよ」と言われるが、元々気味近な自分には耐えられないような
焦りを感じることもある。たとえ癌に勝ったとしても、このよぼよぼは何だ?







9月15日
Hさんの奥さんが亡くなってと娘さんから連絡が入った。Hさんが亡くなってから何年も経っていないのに。
奥さんも元気で過ごしていたはずなのに、私が病気になって少し疎遠になっていた間に病になって入院していたとのことで
残念だ。H夫妻には若いころ本当にお世話になり、以後親戚のように付きあって来ただけに、寂しい気持ちで一杯だ。
現在の体調を話し、葬儀には参列できないことを許してもらった。
少し歩けるようになったら、ご自宅に伺って懇ろにご供養したいと思っている。






9月14日
大分前のスポーツニッポンと言う新聞に、生島ヒロシの処方箋と題した記事の中に、老いるショック脱出術の
ことが書いてあって興味が沸き、とっておいたので読み返してみた。
その中で、「80歳の壁」がベストセラーになっているという精神科医の和田秀樹という人の話が出ていた。
和田先生は80歳以上の人を「明るく希望の持てる呼び方とに」と高齢者ではなく「幸齢者」と称しているいるとのこと。
80債を過ぎても出来ることはやり続けることが大事。車の運転、趣味とかいろいろ。
気が進まないのにやるのがダメ。80歳を超えたら我慢をしない。気ままに、楽しく過ごすことが大事。
とあったが、若いころから気ままに過ごしてきた私が、これ以上気ままにしたら?
これ以上は許さんと放りだされる心配もある。
それにしても幸齢者は良い言葉だと思う。。








9月13日
手足の痺れが相変わらず続いている。
歩くのもおぼつかないし、手先を使うことも不便を感じている。PCを使うにもマウスやキーボードの
扱いに難儀している。何となく気が晴れないのが辛い。
それでも、何があっても平気で陽気な連れがいて助かっている。
にゃんこのチャートとゴーマが代わる代わる慰め顔で傍にいてくれる。
毎日、毎日彼らに助けられている。


9月12日
 最近、元世界統一教会と政治家の関わりが毎日のように報道されてええいる。お互いにどっちもどっちで
利用し利用されてきたのであろう。
思えばあの頃、昭和50年から平成の初めごろまでは、病気や不幸、家庭不和などはすべて霊の障りが原因と言われ
霊能者と言われる人たちが大手を振って跋扈した時でもあったような気がする。
先祖供養ンためにはお墓は五輪の塔を建てるが最高と言われ、身近な人でも大枚の金をつぎ込んで立てた人もいる。
仏壇を買い替えたり、家の方角が悪いからと建て替えたりした人もいる。
これを持っていれば幸せになれるからと言われ、仏像を交わされたり、本を買わされたり、した人も 多かったはずだ。
何のことはない。人の苦しみに乗じて、金儲けをした人が沢山いた時代だ。
今だってコロナや災害が続くと人心は乱れてくる。こんな時に乗じるのが巧みなのがいかがわしい宗教なのだ。
大枚の金を巻き上げられる前に、相談に来て欲しいと願っている。







9月11日
今年も咲いてくれるのかなと心配していた百日紅が、今年も花を咲かせてくれた。
樹齢何年かはわからないが、老木であることは聞いている。
それでも毎年の風雪に耐え頑張ってくれている。
毎年のように台風や潮風によって、花は散らされてしまうことが多いが、今年は何とか
花の盛りを無事に過ごしてから散って欲しいと願っている。





9月10日
今日も三味線をいじってみた。埃を払って研いてみたりすると、結構綺麗な三味線になる。
ふと、あの頃を思い出した。暮らしの糧がたりないときには良く質屋さんに行ってくれました。
質屋さんでは大事に扱ってくれて、自分が持っているよりはいつも綺麗になってましたよね。
この三味線のお陰で、何度、家族の食いッぱぐれを免れたことか、思い出していたら
ふっと涙が ・・・・これからも大事にしますよ。
案の定、つぼをうまく抑えることが出来なかったが、我流で覚えたことだし、また、我流で弾けば良いと
思うと意外と良い音が出て来て嬉しかった。



9月9日
目の前に置きながら、ず〜〜っと使ってなかった三味線に触れてみた。
どこも壊れている個所もないし、退屈過ごしに少し爪弾いて見ようかと思ったが
思い出したのはバチが減ってきて良い音が出ないので放ったらかしにしたことを思い出した。
新品を買ってまで夢中になることもないと思うので、自分でバチを手直ししてみようと思う。
手先の痺れもまだ残っているので、弾き始めてもクソつぼばかり掴んで、良い音は出せないんだろうな。
連れのにんまりした皮肉な顔が今から目に浮かぶ。





9月8日
角館町のお祭りの様子がテレビで放映されていた。同宗のJ院が関わっているお祭りなので
興味を持って見ていたが、同町にY夫婦が住んでいるのを思い出し、近況も聞きたくて電話をしてみた。
Y君は電話をとても喜んでくれて、元気でいることと近況を話してくれた。それによると
奥さんのK子さんは少し鬱の気があるが、日常生活には支障がないととのことだった。
K子さんも同期生なので話をしてみたかったが、捜してみてもいないと言う。祭りのことで近所に出ているのだろうと
y君とK子さんは、入学2〜3日目から手をつないで登校してくる仲だったので、学校中が大騒ぎになったことがある。
昭和30年の春だから、当然のことだったが、いつの間にか学校中から容認された形で、皆から好意的に見られて
彼らは楽しい高校生活を送ったことだろうと思われる。当時はうらやましかったな〜〜。


9月7日
涼しい風が
入ってきて過ごしやすかった。
外に出ない分退屈なので、にゃんこたちをつかまえて、いじりまわして遊んだ。
勝手にいじるな!と言わんばかりの嫌な顔をしている。かと思うとまとわりついてくる。
くるくる気分が変わるのは何か自分に似ているから不思議。



9月6日
台風12号の影響かフエーン現象で猛暑。気だるい感じで一日を過ごした。
県内でも35度以上になった地域もあったようだ。
足の痺れ、両手の痺れはまださ続いているが
、慣れてきているのか大して気にもならない。
段々と良くなっていくのだろうと思っている。

9月5日
寝間の蛍光灯を変えてもらった。天井にピタッと
張り付いたように見える
LEDに取り替えってもらった。これだと地震などで揺れても落ちてくる心配がないので安心だ。
連れは喜んでいるが、エアコンの取り換えやトイレの修理、今度のLEDなどで、財布の方は泣いているはずだ。
でも、寝間の様子は一変した。快適な睡眠も得られそうで嬉しい。

今日も書類整理などで時間を過ごしたが、デスクワークはすぐ飽きる。
何気に周りを見渡すと、あめ色になっている額縁が並んでいる。
「あめ色の 額縁並ぶ 愚僧(そう)の室」何か似たような川柳を見たことがあったな気がする。



9月4日
今日は隣の集落にあるA家の法事に出向くことに泣ていたので、出かけることに。

退院後、初めての外出なので日の光も眩しく感じられた。
娘に支えてもらいながら石段を降り、車に乗せてもらってA家に行った。
法事は何の支障もなく行うことが出来た。
供養した精霊は施主のご両親で、私が晋山以来ず〜と庇護してくれた 方々で、思い出話を
一杯してから帰って来た。階段の登りはシャンシャンと出来た。問題は下りだ。

午後からはゆっくりと休ませてもらった。




9月3日
今日は職人さんたちが出入りした一日。
壊れてから長年放置しておいた寝間のエアコンを「今年は暖かい部屋で寝るべ」と連れとの意見も一致し
新しいエアコンをつけてもらった。寝るときに試してみたら、やわらかい暖かさで快適だった。
午後からは水の流れが悪くなったトイレ修理の職人さんが入って、1時間ぐらいで工事終了した。
大きな職人さんたちが、5〜6人も出入りすると結構賑やかになり、当寺としては久しぶりのことだった。

昼頃にTさんが「和尚さんの顔を見に来たよ!」と言って、すぐ食べれる食べ物や、食材、お菓子などを
大量に持って来てくれた。私の好物を知ってくれていて、それを持ち込んでくれる
Tさんにはいつも感謝している。
他にも顔を出してくれた方もいて、今日は賑やかな一日だった。




9月2日
足の痺れ、手の指先の痺れは相変わらずだが、慣れもあってか、あまり気にならなくなってきた。
歩行も大分楽になり、自分ではシャキシャキ歩いているつもりだが、周りの目はそうでもないらしい。

あまり動かないで部屋中を見回していると、部屋の模様替えなどをしたくなる。
少しづつやってみよう。



9月1日
もう9月?一日一日と過ぎ去って行くのが早い。あれもしよう、これもしようと思うだけで
半分もしないうちに一日が終わってしまっている。
体調は自分でも感じることで出来るくらい良くなってきている。
天候が悪いので家でじっとしているが、天気が回復したら外に出て歩き回ってみたい。
周りからは「しばらぐねでろ」と言われるが「やがましね」とやり返している。
心配してくれてる皆さん、ごめんね。






8月31日
秋田市内に住むFさん家族に来ていただいて、法事を行う。施主のご主人の7回忌法要で、法要後に
ご主人とと思い出話などを語りあった。
大雨予報も出ているので、早めに始めて、早めにお帰り頂いた。
案の定、午後からは大雨になり、夕方には雷も伴って、槍が降ってくるような大雨になった。

足元は大分安定してきた。連れからも「歩き方大分良いよ」と言われて嬉しい。
そうなると気性かからか、外に飛び出して見たくなる。車にも乗りたい。
そんな気持ちを見透かされているのか、時々連れの睨みが入る。う?「もう少し我慢しようか。
で一日が終わる。食べたいものも増えた来た。その分、元気にもなって行くような気がする。





8月30日
明日はF家の法事の予定が入っている。私の体調次第で日延べしても良いと言うことで
予約をしていたが、この分だと出来そうなので、塔婆
を浄書したりして準備をした。
いろいろとしないこともあるのだが、どうしても大リーグの放送を見てしまう。大谷の活躍が見たいからだ。
チーム事情もあってか孤軍奮闘のようだが、今日もホームランを打って勝利に貢献していた。

足元は大分安定感が感じられるようになったが、今度は掌の皮が剥け始めた。あっと言う間にだからびっくりした。
これも副作用
?と思うと恐ろしい。



8月29日
一日中、苦手なデスクワーク。特に書類の整理に一日を費やした。

足元は相変わらず心もとない。外に出るのは止められている。我慢しよう。
夕方、級友に電話してみた。相手も心配していたらしい。
疎遠になっていた人でも、電話一本から旧の付き合いに戻ることも多いらしい。
あちこちの級友に電話して、近況を聞いてみたくなった。






8月28日
S家の法事をお寺で営むことが出来た。昨日よりほ動きも良かった。
午後には甲子園に出場した能代松陽のK家の家族が甲子園の土を主な土産にし、お見舞いも兼ねて
訪ねて来てくれて大賑わいだった。私も元気づけてもらって有難かった。
法事が終わったら一休みしようかと思っていたが、次々と来客もあり、休みは出来なかったが
却って元気に動けて良かったと思う。皆さん、本当にありがとう。






8月27日
朝、少し段差のある場所を上がろうとして足を踏み出したら、後ろに
引きずられるような感じで転んだ。どこもぶつけたりはしなかったが、ショックは大きかった・
結局今日一日は寝たり起きたりで一日を過ごした。
明日はS家に出向いて法事の予定だったが、急遽、お寺に来てもらって法事を営むことに変えてもらった。
声と正座には支障がなさそうなので、何とか出来そう。



0

8月26日
退院2日目にして、副作用洋画一気に押し寄せて来たのか、治療当初に言われていた症状が出てビックリ。
足腰のしびれ、手先のしびれ、などが出て、特に足のしびれがひどく、歩くのが心もとなく心配だ。
暫らくは動かずに過ごすより仕方が無いかなと思う。






8月25日
三日間の入院を終えて帰って来ることが出来た。足のふあふあ感はまだ消えないが、注意して歩く分には問題がない。
境内から寺までの階段も、楽に上がって来れた。
医師とも話し合い、9月20日に再検査することにし、それまではゆっくり静養することにした。
再検査次第で、今後のことを進めることにしたが、医師の言葉からは楽観的な言葉があり、一応はほっとした。




8月22日
足の土踏まずの箇所が両足ともしびれを感じ、歩くとふわふわ浮き上がった感じがする。
この治療を始める前に言われていたことが、いよいよ出て来たのかと思うと、これからが心配だ。
明日からの三日間の治療次第ではもっと強い副作用が出てくるのではないのだろうか。
一応この治療は今回が最後の予定だが、この後のことは聞いていない。
何をして頂くにしても少し体力をつけてからにしてほしいと、医師にお願いするつもりでいる。

明日からの留守を感じ取っているのか、にゃんこたちがまとわりついて離れない。
外に出て暫らく一緒に遊んであげた。なまじな人よりも気を使ってくれるこの子らが可愛い。











8月21日
午前中は養護施設を営むSさんの相談事に応じて私なりの意見を述べさせてもらった。
Sさんとは20年来の付き合いになるが、目に障害があるにも関わらず、仕事に対する意欲は旺盛な方で
わつぃの方が尊敬しているのにも関わらず私の意見は良く聞いてくれて、事業経営に生かしてくれている。
今回も参考にして頑張りますと言ってくれて帰られた。
夕方にはF寺の奥さんと息子さんがお見えになって、お見舞いを頂いた。
本来ならば法類になって頂いている立場から、私の方が出向いて行かなければならない立場なのに
いろいろと気を使ってくれることに本当に感謝している。

最近のことだが、キーボードの扱いやマウスの扱いに間違いが多い。
抗がん剤治療の副作用として、手足のしびれや指先の感覚が鈍るとは聞いてはいたが・・・
やっぱり出て来たかと思ってしまう。





8月20日
土地の風習もあってか、20日盆と称してお墓参りやお寺参りをする人がいる。
私がここに晋山したころは、20日盆で多くの人が参拝していた。
しかし今ではポツポツと訪れる人がいるだけだ。
何かにつけて先祖供養を心掛けた昔風が良いのか、それが無駄なことだと割り切る現代風が良いのか
私にはよくわからないが、昔風の方が良いのではないかと個人的には思っている。





8月19日
今朝の新聞を読んでいたら、吃音について書かれているところがあったので興味を持って読んだ。
学園小説の「僕は上手にしゃべれない」の中で、人前で話すことが怖くて仕方がない。

国語の授業でみんなの前で本を読まされることも同じだ。先生は吃音を知っているはずなのに
わざと当てて皆の前で読ませる。これも私の経験と同じだ。
当然、皆に笑われ、休み時間になっても皆にもみくちゃにされ、いじめられっ子になってしまう。
いや〜〜な小学1年生時代を思い出してしまった。
同学年の子供たちだけならまだしも、その子らの兄貴達までも加わって、からかうだけではなく
殴ったり蹴ったりするようになり、顔や手足に傷をつけて家に帰る日が多くなった。
父は一言「まげるなよ」言ってくれたが、小学2年になってまもなく、いじめの親分格にしがみつき
彼の耳たぶを食いちぎってしまった。親分格は血みどろで泣き出し、取り巻き連中も泣き出して
大騒ぎになってしまった。その日以来、いじめはなくなったが、代わりに鬼っ子とか気違い扱い
されるようになった。親分格の取り巻き連中の中には、私を見ると小便を漏らしたりする子もいて
面白かった。当然学校には殆ど行かない日が多くなり、小学2年は全休に近かった。
こんなことを思い出させてくれる今日の新聞記事だった。






8月18日
昨日のドライブは調子に乗ってオーバーワークだったかもしれない。
朝起きて見たら体中が痛い。連れにもそれを指摘された。
ちょっと調子が良いと暴走してしまう気性は、なかなか治らないものだと思う。





8月17日
I家の法事に出向く。霊位の連れだけの参列。質素と言ってしまえばそれまでだが
何か簡単に早く終わらせたいという気持ちがバレバレで、あまり気分が良くない。
「T君は?」と聞いてみると「仕事で」と言うし「嫁さんは?」と聞くと「具合が悪いらしい」と言う。
嫁姑の仲の悪さは耳にはしているが、こんな時ぐらいは霊膳を一緒に整えたりして、先だった人の
供養に務めても良いのではないかと思い、次の回忌法要の時はそうして欲しいと話して帰って来た。

午後からは目的を決めずに無作為にドライブしてみた。ここに来て30年以上にもなるのに
「こんなとこもあった?」と思うようなところが結構ある。興味が沸いた。またこのような
走り方をしてみたい。





8月16日
お施餓鬼供養の法要を行う。天候の悪さもあるが参列者が一人もいない寂しい法要だが
各所から頼まれている先祖供養や水子の供養を巌修することが出来た。

午後になってパトカーや消防車がサイレンわんわん鳴らしながら何台も下の県道を走っていくので
問い合わせたら双六で海難事故だと言う。こんな大荒れの日に漁師が海へ出たのか?
遊びに来ている誰かが海にでも落ちたのか?などと考えながら時間を過ごし、野次馬根性もあって
車を走らせて行ってみたら、何もなかったように人っ子一人いなかった。
何だ?と思いながら門前までドライブし帰って来たが、
自分を阿保らしいと思った。

目の前に美味しそうなものが並んでいるのに、口内炎のために食欲が沸かない。
体力維持のために最小限食べてはいるが、これでは作ってくれる連れに申し訳がない。
口内炎と口角炎は副作用だとわかっているのでもう少し我慢するしかないだろうが
少しでも早く回復してもらいたと思う。








8月15日
昨日は早く切り上げた積りでも、やっぱりハードだったのかな?
疲れたという感覚ではないがとにかく眠い。昼寝をたっぷりとした。

終戦記念日と言うことで、各地で行事がい行われている。
あの日、私たちは明田の富士山の頂上から
秋田市内全域を見渡せる場所から、土崎の空襲を見ていた。焼夷弾がばらまかれ
秋田市内は真昼のように明るかった。
巨大なB29爆撃機が何機も秋田市内を旋回しながら
土崎の製油所関連施設に爆弾を落としていた。大人たちは何も言わなかった。寡黙に耐えていたのだと思う。
私は数え歳7歳であったが、恐怖で小便をちびりながら、それでもずっと見ていた。
その日の昼頃、父親から「戦争は終わった。負けた!」と聞かされた。
この時だと思う。私の心の中に「弱いものはとことんやられる。勝てないまでも歯向かうことだ」
という気持ちが芽生えたと思う。
その気持ちが先々いろいろな問題を起こすことにもなるが、この時は知らなかった。







8月14日
近くの檀家は連れと娘が回り、遠方の檀家は自分が回って、棚経は今日で終えることが出来た。
檀家以外で回っていた方々には、私の体調も考えて、今年は遠慮させてもらう旨を伝えて
行かないことにしてもらった。
例年に比べ大幅の減収にはなるが、私も連れも体調維持を優先することにした。



8月13日
朝から晴れており、また、大して暑くもならず、お墓参りには良い日になってくれた。
地元に30軒足らずの檀家しかない当寺は、ポツポツと訪れる人に
ゆったりと対応できるから楽だが、それでも苦情やトラブルが起きることがある。
隣に檀家さんを沢山持っているS寺があるのだが、この寺の駐車場が狭いために
殆どの参拝者が当寺の駐車場を利用してしまう。断りもなしにだから始末が悪い。
当寺の檀家が一度に集まっても余るぐらいの駐車場を整備したのが
却って仇になって、トラブルのもとになるとは皮肉な話だ。ま〜毎年のことだし
今日一日で済むことだからと思って我慢している。
今日の布施収入は、本堂の荘厳のための花代やお供物代などの経費に大きく負けている。
ここが骨山和尚の泣き所。



8月12日
県内各地で豪雨が続いている。危険区域になっているところでは眠ることも出来ないだろうと思う。
例年にない
お盆になってしまった。
本堂を荘厳し、準備は整えたが、明日も雨の予報だ。お墓参り、お寺参りは無理をしないで欲しい。
晴れ間を見てゆっくりにしてほしい。他寺と違って込み合う心配などはないのだから。

遠方の知人や信者さんから、雨を心配して多くの電話を頂いた。
時々無謀とも言える行動をする私をみんなが知っているので、それが心配だと皆が異口同音で言いながら
心配してくれている。有難いやらそんな心配をされている自分が情けないやらである。




8月11日
豪雨がまだ続いている。特に北秋の各地がひどいようだ。大きな被害がなければ良いのだが・・・

昨日に続いてベットの組み立てをした。今日は何の支障もなく簡単に出来たような気がした。
マットが体に合うかどうか心配だったが、連れも「これだばええ!」と喜んでくれたのでほっとしている。
早速昼寝をしていたところを見ると、本当に気に入ってくれたようだ。

「和尚さん、忙しいしょう」と声をかけられるが「何のこと?」と答えたくなるくらい当寺は暇だ。
坊主の稼ぎ時と思われていることが辛いと思う、骨山に住む愚僧の愚痴が出そう・・・。






8月10日
今日も大荒れの天気。各地で被害も大きくなっているようだ。当地でも浸水の心配がある箇所も
出ているようなので心配だ。

高齢者二人で暮らしていると、毎日の布団の上げ下げが億劫になってきて、敷きっぱなしの日が多くなる。
これでは駄目だと思い、ベットに変えることにしていたが、注文していたベットが届き、 組み立ては自分がすることに
していたので、早速説明書を
見ながら組み立てを初めて見たが、これが結構面倒だった。
もう一台は明日やることにした。早速寝てみたが寝心地が良く、これならよく眠れそうだ。
連れも喜んでくれている。

蒸し暑かったので晩酌にビールを飲んでみた。旨い!癖になりそうだ。






8月9日
暑い日が続いていたが今日は一転して強風がを伴った豪雨。雷も鳴った。
テレビでは県内各地での被害も報じている。
しとしとと降る気持ちの良い雨などは最近は見たことがない。降れば必ず被害が出るような雨ばかり。
自然は何が元でこんなに怒り狂っているのだろう?と思わずにいられない。
風雨順次。・・・時に応じて風が吹き、雨が降ってくれることを祈るばかりだ。



8月8日
少し早めだったが103歳で旅立ったKばあちゃんの忌明け法要を、ご自宅で行った。
雨予報も出ていたのに、晴れわたり暑〜い日になったが、納骨も無事済ませることが出来た。
温和な家族仲の良い家庭なので、仏事なども和やかに営むことが出来る。
こんな家庭の中で、103歳の高齢まで、施設に入所することもなく、亡くなるまで子息や孫たちに囲まれて
過ごせたKばあちゃんは幸せ者だったと思う。遺影もにこにこと笑いかけてくる。




8月7日
7日盆と言う風習なのか、今日はお墓参りに来る人が多い。
春彼岸も秋彼岸もあまり熱心にお墓参りや寺参りをしない人たちが、この時期だけはお参りに来る。
きっと土地の有力者に使われていた人たちは、この時期にしか休みがもらえなかったのだろう。
午後からは人も来なくなり静かになった。
ちょっと昼寝の思って寝たら、夕方まで寝てしまった。ちょっと長い昼寝だったかな?
ぼ〜〜っとしている。






8月6日
朝から温度が上がり暑いのに、お墓の掃除に来ている人が何人かいた。
熱中症になる人がいないと良いな〜と思いながら気にしていたが、そんなこともなく
一日が終わってくれてよかった。
昼前、Tさんがウナギをもってお見舞いに来てくれた。いつも心にかけてくれて有難い。
途中で事故を見て来たと言っていたが、夕方のニュースでは死亡事故だったと聞いてびっくり。

ドライブがてら少し遠方の檀家さんに、塔婆仏と如来旗をお届に回った。
夕方になっても車から降りるとどっと汗が出るほど暑い一日だったが、晩飯はTさんが
持って来てくれたウナギをご馳走になって、馬力を補給出来た。




8月5日
昨日の不調が嘘のように今日は朝から調子がよく、テキパキと行動できた。
昨日は冷房の効いた病院から出て、すぐに暑さに当たったせいで、軽い熱中症でもあったのかなと
勝手に解釈した。食欲もあり、この分では心配もなしかなと思い、午後からは短時間ドライブもした。

護持会の副会長兼会計さんが、相談したいことがあると言うので話を聞いた。
3月の会議で、出席者があまりにも少なく、会議が成立しないままの状態で今日まで過ぎてしまったことと
自分も役職を辞任したいと思っていることを聞かされたが、少し考えてみるからと留意させて今日は帰ってもらった。
護持会は本来は菩提寺の興隆に尽力し、寺の本堂、庫裏、境内の営繕整備に常に配慮し、特には住職家族の
生活維持に協力をすることが規約にも書かれている。
そのためには護持会会員(檀家)は時代に合ったそれ相応の負担も必要なのではないかと思うのだが
その辺の意識が薄れてきているのも、会費残高滑落の原因にもなっていることが明らかなのだが
檀家数が少ないから仕様がないで過ごしてきたことが大きな原因だろう。
守られるはずの住職が護持会の崩壊を守って上げないといけない状態に、少し頭が痛い。





8月4日
病院にいる間は何の支障もなく過ごしていたが、退院して外に出たら、熱気に少し参ってしまったようで
家に帰ってからも暫らくは調子が悪かった。
メールをチェックしたり、返事を書いたりで夕方まで過ごした。晩飯は食欲がなく、軽く出済ませた。





8月1日
「和尚さん、お盆が近いから忙しいでしょ?」とよく声をかけられるが、「うん、まあまあ〜」
と答えてはいるが、そんなに忙しくならないのが我が寺の特徴。
檀家寺というよりも祈祷寺の色合いの強いこの寺は、お彼岸、お盆は忙しくはならない。

明日から2泊3日の予定で入院するが、抗がん剤治療も11回目となる。今のところ体調が良いので
耐えられそうだが、行ってみないとわからないこともあるので、勝手な心配はしないようにしている。




7月31日
今日で7月も終わりだ。日の経つのは早い。
人と会えば「お盆が来るすな〜」「うんだすな」の会話が交わされるようになった。
如来旗や経木塔婆の準備も終わっているので、あとは檀家さんたちが買い求めに来るのを待つだけだ。
他の寺では強制的に買わせているところもあるらしいが、ここでは檀家さんの自由意思に任せている。
在家出の私としては、檀家さんに押しつけはしないようにして来た積りだが、寺の経営のことを考えれば
このやり方は失敗っだったのかも知れない。
檀家さんに経済的な負担を出来るだけさせたくない気持ちは変わらないのでだが・・・



7月30日
外は暑いが家の中に居ればそんなに暑さは感じないのに、なぜか気持ちがすっきりしない。
何故か不快な気持ちが晴れないのだ。
不思議な一日を過ごした。やり場のない鬱憤が溜まっているようだ。
一寝して気分を変えよう。




7月29日
毎日のようにコロナ感染者が1000人越えの県内だが、感染経路などはつかめない状態なのでは
ないのだろうか。だとすれば対策の打ちようもないのではないか。
夕方ドライブがてらあちこちと走った見たが、人っ子一人見ることもなかった。
こんな町なのに、フェステでは一日に5000人ぐらいの人が集まると言われている。
感染対策は十分にしているとは言うが、大丈夫かなと心配になってしまう。

あと二日間、無事に終わって欲しいと思う。

にゃんこたちの我儘がひどい。一度チュールを与えたら、普段のカリカリ餌を食べなくなった。
腹が減れば食べるだろうと無視していても、粘り強く要求してくる。時には涙を溜めながら要求してくるので
根負けしてしまう。普段はあまり仲の良くない兄妹猫だが、こんな時だけはピッタリ息の合った共同作戦で
要求してくる。いつも負けるのが私と連れ。




7月28日
能代松陽野球部のK・K君から電話が入り、応援の御礼と、お祝い金、お餞別の御礼のために電話したと言っていた。
豪傑な顔つきと体躯なのに心根の優しい子で、私も大好きで応援している。
元気で頑張って来いよと声をかけtると「俺は大丈夫です!和尚さんこそ早く病気が治って元気になって欲しいです」と
涙声で言ってくれていた。
優しい子だが甲子園では闘志むき出しで頑張ってきて欲しいと思っている。
「祈っているから頑張ってな」と声をかけて電話を切った。
彼のことだ。精一杯やってくることだろうと期待している。






7月27日
コロナ感染者が県内でも1日に1000人を超ええるようになってしまった。
29日から男鹿市ではフェステバルが三日間行われる。感染対策を十分にしての開催だと思うが
やはり心配は尽きない。大勢の人たちが待ち焦がれた大会なので、無事に成功して欲しい。

昼過ぎに宅急便が届き、東京のHさんからは大玉のメロンが届き、今日が食べごろと書いてあったので
早速頂くことにする。美味しかった。十分に堪能してからお礼の電話をした。
仙台のMさんからはかば焼きが届けられた。夕飯に頂いたが、本当に美味かった。
Mさんにも
頂いた後に電話で御礼をした。
お二人ともいつも私を気遣ってくれる方々で、本当に感謝している。
「病気を治してきっと元気になるからね」と心に誓っている。







7月26日
県内でコロナ感染者が毎日のように増えて行く。人口比率からしたら大変な数のように思える。
自粛規制などがちょっと緩むとこうなるのだから、やはり規制が必要なのかも知れない。
「何とせばええあんだ?」「何、あまり出歩かねばえんだ」この会話が一番の感染予防のように
思えてならない。


7月25日
昨日の今日だから疲労感が残ると思っていたが、そんなこともなく爽やかに目が覚めた。
それでも午前中はゆっくりと休み、午後から種々支払いを済ませたり、切手を購入したりで郵便局へより
時計店で眼鏡の不具合を直してもらい、時計に電池を入れてもらったりして帰ってきたら4時過ぎになっていた。
暑い一日だったので少し疲れた。

友人のWから電話があったと言うので、電話をかけて見たら「元気だが?」と言われ「元気だよ」と答え
お互いに「えがった、えがった」を繰り返し「へば、またな」で電話を切った。
こんな形で無事を確かめ合える友がいることも嬉しい。





7月24日
Tさんの葬儀をT寺のご住職のお手伝いを頂きながら無事に終えることが出来た。
葬祭センターへの送迎は娘夫婦がしてくれたりして、みんなが私の体を心配しながら協力してくれた。
センターの職員の方々のお心使いにも有難く思っている。


お盆に向けての境内掃除は、Kさんが一生懸命してくれている。ご本人はボランテイアの積りでしてくれているようだが
暑い盛りの労働は大変なことだと思う。ありがとう。Kさん。





7月23日
朝はTさんの出棺読経のために葬祭センターは出向き、自坊に帰って、檀家さんではないが
北海道に実家のある方に依頼されての法事。それが終わって葬祭センターに出向いてTさんのお逮夜と
ハードな日程であった。明日の葬儀に向けて体力温存のため早く寝ることにする。
年間で3回も葬儀があれば多い方なのに、今年はどうしてこんなに続くのか、それも入院中とか
退院すぐにとか・・・諸行無常とはまさにこれ也。





7月22日
Tさんの納棺前の読経のために葬祭センターに出向く。
納棺と言えば、亡くなった方の身内の方々が、「良いところへ行けよ」「何にも心配しなくていいからな」とか思い思いの声をかけながら
死装束を付けて上げて納棺をしたものだが、最近なセンター所属の納棺師にすべてを委ね、親戚縁者はただ見てるだけになってしまった。
Tさんは寂しいだろうなと思う。せめて奥さんだけでも傍にいて声をかけてくれたり、手を添えてくれたらと思うとやり切れない。
機会があるごとに、死人が出たら先ずお寺に連絡し、寺の指示に従って葬儀などの準備をするようにと話をしているのだが
今は先ず葬祭センターに搬入し、安置してから寺に連絡が入ることがほとんどだ。そのうえ菩提寺の事情など関係なく
大体の日程が決まっている場合が多い。
それでも今回お世話になる葬祭センターの職員たちは、私の気性を知っているから、「和尚の話を聞いてから」と言うことで
私の方の事情を聴くまでは、待ってくれているから有難い。
私の希望としては、病院で亡くなった人はすぐに自宅に迎え入れ、納棺や火葬までは自宅から行い、お通夜、葬儀はお寺で
行うのが希望なのだが・・・時代に負けているのか、教化力不足なのか。やはり力不足は否めない。







7月21日
退院してきて一息ついて高校野球県予選の決勝を見ていたが、能代松陽高校が優勝し、応援していた信者さんの息子さんも活躍したので喜んでいたところへ
電話が入り、檀家さんのI・Tさんが亡くなって、レゼール葬祭センターに安置されていると知らせが入った。

急遽着替えをし、枕経を唱えるために出向いた。Tさんは私がここへ来た頃は頑健で、出稼ぎ続けながら合間に農業にも精を出し、働き者で
通っていた人であった。強面でありながら優しく静かな人でもあった。釣り好きの私の後ろに立って私の釣果を喜んでくれてる人でもあった。
ボラを好んで食べる人で、私はボラがかかるとすぐ糸を切ってしまおうとするのだが「和尚、つり上げでけれ!」大声で叫び、たもを持って
岸壁に出てくる人であった。10年ほど前からいろいろと病魔に襲われ、入退院と施設への入所を余儀なくされていたが
92歳で、この世から居を変わることになってしまった。
明日は入棺、明後日は火葬とお逮夜、24日に葬儀を行うと日程を決めて帰って来た。
体力にいささか不安があるが、Tさんをいっかり送ってあげたい気持ちの方が強い。頑張ろう。

信者さんの息子、心文君は中学時代からの逸材で、私の母校、秋田商業に進学するように勧めたこともあったが「能代で生まれ育ったので
能代で頑張る」と言われて、「わかった!応援するよ」と言ったことを思い出す。甲子園でも頑張って欲しいと思う。
早速お祝いとお餞別を送った。




7月18日
Kばあちゃんの27日の命日なので、読経に出向いた。朝から暑い日で猛暑になるなと思っていたら案の定
一日中暑い日になった。そんな中、Kさんが駐車場を取り囲む垣根の整理をしてくれた。
綺麗に刈り取られたぺんぺん枝葉が無くなり、見事な垣根になった。ありがとうKさん。

明日は入院の予定だが、検査結果次第なので判らないが、自分で感じる体調では予定通り抗がん剤治療は
してもらえると思っている。ただ、病院食のまずさが気になる。入院経験のある複数の人に聞いてみたが
「今時、こんたどごねや」と言うのが多数意見であった。明日から三日間「もっとうめぐしてけれ」
と懇願しようと思っている。私は短期入院だから我慢が出来るが、長期の入院をしている方々の
ためにも頑張ってみたいと思う。







7月17日
Aさん、Kさんが朝から境内の草刈りをしてくれた。草茫々で荒れ寺の様子を呈していたが
やっと誰かが住している寺に見えるようになったような気がする。
蜂の菅あったらしく、Aさん、Kさんともに刺されたようだが、頑健な二人は平然として作業を続けていた。
私は急遽コメリまで行って、蜂退治用のスプレー缶を買い求め、作業中に使えるようにと外の小屋にと
本葬、庫裏の各部屋に配置した。

午後からも来客があって、ここのところ毎日していたドライブは行けなかったが、何気に忙しく
気分が高揚した一日であったような気がする。





7月16日
午前10時からK家のUさんの3回忌の法要をした。Uさんは生前はが芸達者な人で、寺の行事の後の懇親会では
率先して芸を披露し人を喜ばせるのが得意であった。それに引き換え子息たちは寡黙な人が多い。
法要後、そんなことを話して上げたら喜んでくれた。

午後になって1時間ぐらいの予定でドライブ。今日は入道崎、八望台などを巡って来た。
土曜日にも関わらず観光客は少ない。どこも閑散としていた。
八望台は私も好きな場所なのだが、展望台が寂しそうにあるだけで、以前にはあった売店の取り壊し作業をしていた。
駐車場にあるトイレを使わせてもらおうと思ったが、いつ掃除をしたのかもわからない状態で、使っていいのかどうか
判らない状態で使うのを遠慮させてもらった。何か所にも案内板があって、ここまで人を呼び寄せようとする
意思があるなら、それなりの対応をしておかなければ、訪れた人はがっかりするだろう。




7月15日
午前中は何事もなく過ごしていたが、午後になって退屈し始め、ちょっと何処かへ出かけようかと
思っていたら、Z院のご住職ご夫妻が見舞いに来て下さった。
この方は教区長を長く務めたり、宗派の責任役員を務めたりした高僧でありながら、在家上がりの
がらっぱち僧侶である私などとも
普通にお付き合いして下さる方で、私がここに晋山以来30年以上もお世話になっている。
有難いお見舞いを頂いて、早く病気を治し、ご恩返しをしなければと強く思った。

キャノンのI君が寄ってくれたので、パソコンの整理をしてもらった。どうしてもいらないものを
取り込んでしまうので、たまに整理してもらうのは有難い。
「支払いは発生しないのか」と聞いたら「いらね〜〜よ」と言って元気に帰って行った。
I君、いつもいつもありがとう。

門前までドライブをした。ドライブをするには、駐車場まで下りる階段を往復しなければならないので
足腰を弱らせない目的にしている。毎日続けられると良いんだけど・・・




7月14日
連れの友達Tさんがコーヒー類や自分で作った総菜を沢山持って、私のお見舞いに来てくれた。
いつもいつも本当にありがたいと思っている。
「和尚さん!元気そうでえ〜〜な、安心した」と言って少し談笑しただけで帰ってしまった。
いつもお尻の軽いひとだな〜〜と感心している。行動がテキパキしているから、いつも元気でいることが
出来るのであろうと思う。
「知らない道を歩いてみたい」と言う歌を思い出して、午後から普段は行ったことのない町内に入り
この道はどこに続いているのだろうと思いながら、狭いところを慎重に運転しながら走ってみると
意外なところに行き着いたりして楽しかった。もう少し続けて見ようかなとも思った。

コロナ感染がまた蔓延の兆し。なぜ食い止めることが出来ないのか?
県内の感染も人数的には少ない方かもしれないが、人口比率から言ったら結構多い方だろうと思う。
金が欲しい、楽しみが欲しいという人間たちの狭間の中で、コロナウイルスだけが勢力を伸ばし続けて
いるような気がしてならない。




7月12日
天気も良いし、家にいると何となくうずうずしてくるので、軽い気持ちで家を出て車に乗る。
どこと言ってアテはなかったが、走らせているうちに寒風山に行ってみようと思い立ち、登ってみた。
寒風山では2台しか車と行き合わなかった。平日とは言え、この時期にしては訪れる人が少ないと感じた。
人が少ない分、山から見下ろす360度の景色は、まるで独り占めしているようで良い気分になれた。
寒風山から降りて、最近行っていない五里会海岸にも行ってみた。
人影は全く見ることが出来ないが、景色だけは美しい。
なんだかんだで二時間以上走り回って帰って来た。
家でやろうと思っていたことは、すべて明日以降に後回し。





7月12日
昨年に続き家電の劣化や使用不能になるものが多い。本堂で使っていた2台の扇風機が駄目だと
連れあいに言われ、今年は人もあまり来ないようだし、本堂が暑くて困る日は何日もないと言うと
法事をしたりする日に限って暑かったりするから必要だと言われ、ケーズ電気に出向いてなじみの店員と
相談しながら2台を注文し買い求めて来た。あとは何?と思っていたら
「皆、あんだの身代わりだな」と連れ合いの独り言。何となく納得してしまう自分がいる。

夕方、市議会議員のS氏が訪ねて来た。「ニート生活してるのか?」挨拶前に言ってしまう皮肉。
「いや〜頑張っているすよ」と答えが帰って来るが、「この、へやみこぎ」と
言ってやった。
「ご無沙汰してました」「いやいやこちらこそ」と挨拶を交わして、やっと普通の会話に入る。
「何か気の付くことはないすか?」と聞くから「市民病院の食事をもっと旨い物に変えてくれ」と言ってやった。
つい先日のことだが、囚人を与るところで囚人に出す食事のおかずをつまみ食いしてしまった職員がいたとの
ニュースがあったのを見ていたから「旨そうだからつまみ食いしたんだろう。しかも税金で賄う食事だろ。
病院食は安いとは言え、患者も負担してるんだ。もう少し旨くて良いだろう」と言ってやった。
他にも自分が日頃思っていることを話したが、自分の考えだとして使っても良いし、市民の声として使っても良しと
言うことでS氏は納得して帰って行った。
30年も前に話したことを「和尚さんの言うとおりになったすな。これからなんとせばえすべ」と訪ねてくる人も多いが
当時は「おめ!此処さ来て何年になる?何わがる?」と言われてばかりいたので「何を今更!」と
思わぬでもないが、問われれれば自分の意見を言ってしまう自分の甘さ加減に気づいてしまう。





7月11日
Kばあちゃんの初七日と言うことで、朝お経を上げにご自宅にお邪魔した。
お仏壇の前に座ってみると、少し前に亡くなった人のいる仏壇の前とは思えない、重くどんよりとした雰囲気の
全く感じられない明るい軽やかな雰囲気だ。
「ばあちゃんは、ここに心を残してね〜〜な。行っちゃったよ」と言ったら「
私もそう思う。」と喪主の嫁さんが
言っていた。亡くなったなったと言っても霊は生前の気性を持ちながら旅立って行くのかな?などと話し合いながら
ばあちゃんの生前のことを話し合いながら、美味しいお茶をご馳走になって帰って来た。
外は朝から猛暑だが、何か爽やかな朝のひと時だった。

今日もK家にお邪魔するのに車を運転したが、車は毎日少しでも乗りたいと思う。毎日乗ることが運転能力を
落とさないことになるだろうと思う。

毎日目にしながら手を付けていなかった三味線を手に持って見た。毎日みてはいながら触ってもいないし手入れもしていなかった
せいか、何かずっしりと重く、触られるのを拒否されているように感じた。
明日は少し手入れをして綺麗にしてあげようかと思う。出来れば気持ちよく弾かせてもらいたいと思う。





7月10日
今日も朝から猛暑。とはいえこの家の中だけは涼しい。エアコンに頼ることは殆どない。
訪ねてくる人は「涼しい!」と言うが、その分冬の寒さは大変な場所なのを知らない人が多い。

参議院選挙の投票に、近くの集会所に連れと一緒に出向いた。
投票した人が当選すればいいな〜〜と思いながら帰ってきた。
連れを家において、海岸通りをドライブした。いつ見ても飽きない景色。綺麗だ。
鵜ノ崎海岸で遊んでいる人も多かったが、その先は人っ子一人見ることが出来なかった。




7月9日
朝から猛暑。O家の法事をご自宅に伺って行った。
エアコンの効いた部屋での法事だったが、読経中は汗が流れたほど暑い日だった。
この三日間は少しハードだったかな。疲れた。

夏の甲子園大会県予選で、母校の秋田商業は第一シードあったのに、最初の試合で敗北したしまった。
体調を見ながら一度は観戦にグランドへ足を運ぼうかと思ってもいたのに、残念。





7月8日
葬儀を無事に務めることが出来た。暑い日なので納骨も大変かなと思っていたが喪主の意向で
納骨は忌明けの日にしてほしいと言われたので内心ほっとして「うんだな」と答えてしまった。
コロナの影響もあって、葬儀後のお斉も無かったので、午後2時前には帰って来られた。
ほっとしたのと同時に疲れもどっと出た感じ。

帰ってきたらTさんが好物の食材や手作りしたご馳走を持って来てくれて、少し前に帰ったばかりとのこと。
もう少し待っててくれれば、あって御礼を言えたのにと残念に思った。






7月7日
入院初日午後、103歳のKおばあちゃんが亡くなったとの連絡が入った。
少し前までは矍鑠としていて元気だったのにと思うと、「え!」と絶句。
「和尚さん、動けよ、歩けよ。」と口うるさいほど、私の健康を心配してくれていた方でもあった。
点滴の管につながれていてはどうしようもないので、T寺さんのご住職に連絡を取り、枕経、入棺時読経
出棺時読経などをお願いし快く引き受けていただいたので安心した。私は病院内で戒名を考え、通夜、葬儀の
次第を考えて、今日退院し、家に帰って考えていたことを書き上げて通夜会場に出向く。
通夜までの間に塔婆類などを一切はT寺さんが書き上げてくれた。達筆な方が浄書してくれたので
おばあちゃんは却って喜んでいるかも・・・
通夜が終わって帰宅すると、やはり疲れがどっと出た。このおばあちゃんはどうしても自分が送ってあげたい一心で
明日の葬儀も頑張りたいと思う。





7月4日
天気も良いので、門前まで車で走って見た。
台島〜椿〜双六〜小浜〜門前と走ってみたが、人っ子一人見当たらなかった。
帰りも同じ。行きは左側に海を見て、帰りは右側に海を見ながらのドライブになっただけ。
過疎地と言ってしまえばそれまでだが、人の動きを感じられないのは何とも寂しい。

明日から入院予定だが予定通りの抗がん剤投与が受けられるのだろうか。
生活に支障が出るほどの副作用はないが、口内炎は少し辛い。美味しく物を食べられないのはつらい。
ま〜〜、明日は明日だ。




7月3日
今日も来客、電話などもなく静かな日だったので、少し昔のことを振り返ってみた。
昭和56年の春ごろから始めた我流の山岳修行。羽黒山、湯殿山、月山を夢中になって駆け回った。
ちょっと言動がおかしくなっていた連れを治してやりたい。ただその一心だったように思う。
もともと連れは霊媒体質だったらしく、憑依され易いのか、ちょっとしたところへ出入りしても
言動がおかしくなった。身内の者たちでさえ、精神科へ入院させろとか言っていたが、何か知らないが
俺が治してやると言う自信があったのを覚えている。
出羽三山に限らず、連れと一緒にいろいろな行場へ行って滝に入り、覚えたばかりの般若心経を
唱えていたことが思い出される。
いつの間にか連れは自分を旨くコントロールできるようになり、そのような状態になって苦しんでいる
多くの人の相談相手にもなれるようになってなっていた。
そのころに信者になってくれた方々が、今でもお付き合いがあり、その方々の子供さん、孫さんたちも
お付き合いに加わってくれて、物心両面で私たちを支えてくれている。
私は弘法大師1150年御恩忌の勝縁の年、昭和59年11月21日に
得度をさせてもらった。
師の勧めもあって連れも一緒に得度をさせてもらって、二人とも僧侶となったのだが
今、思い出してみても、どうしてこのように進んで行ったのか不思議に思われてならない。
私たち夫婦は得度以来一切の仕事を辞めて、日々ご縁のある方々の幸せと安寧をお祈りをしているだけの
生活をしている。多くの方々が支えてくれるお陰なのだと、連れとも話し合った。
無生産者の私たちが、40年もの間、何の苦も無く生きていけるこの幸せを多くの人々にも分け与えなければならないと思う。



7月2日
来客も電話も無く静かな一日。久しぶりに読みたい本をだしてきて読書三昧で一日を過ごせた。





7月1日
半年間を手術のための入院と、抗がん剤治療のための入退院でほとんどの日を過ごしてしまった。
それでも術後の苦しみもなく、抗がん剤治療もよく言われているほどの副作用もなく、平易な日常を過ごせて
いるのはありがたいい。
今日は来客の多い日だった。S・Tさんは、自宅をお伺いせず自坊で拝んでおいた分のお布施だと言って
わざわざ届けに来てくれた。
S・Mさんは昨日お送りしたKさんの息子さんだが、仙台に帰る前に忌明けなどの打合せをしておきたいと
言うことで訪ねて来た。いろいろと打ち合わせを終えて、安心して帰って行った。
午後からは、秋田県教育庁生涯学習課文化財保護室の関係者が6人ばかりで訪れて
仏像の説明などを求められた後、いろいろな角度から写真を撮って帰られた。
今日の調査はどんなことに使われるかもあえて聞かなかったが、大したことに使われることもないだろうとおもう。

高齢者は「幸齢者」だと言う新聞の記事に納得。我慢し過ぎず気ままに楽しく生きるのが良い。
酒もたばこも必要以上に我慢しない!と言う部分が特に気に入った。





6月30日
朝方から強い雨が降って心配したが、葬儀が始まるころには晴れてくれた。
久しぶりに参列者の多い葬儀になったが、参列者もしわぶき一つ立てることもなく、静粛で厳粛な葬儀が
出来たことは嬉しい。雨次第では今日の納骨も無理かとも思われたが、すっかり晴れていたので
納骨も出来た。墓所に邦ことは私の体調も考えてくれて、喪主が自分たちでやるからと言ってくれてはいたが
T寺のご住職が「お墓へは私がいきます」と申し出てくれて、ご厚意に甘えることにした。
喪主も大変喜んでくれて、私も嬉しかった。
K子さんを無事にお送りできたことでホット安心し、家に帰ってからふっと疲れを感じ
夕方まで床に入ってひと眠りした。目覚めてすっきり!






6月29日
K 子さんの出棺のための読経に出向く。大勢の人が集まっていたのには少し驚き。
親戚縁者等の他に町内の人たちも参列してくれていたようだ。人付き合いの良い人だったことが伺われて
あたしも嬉しいと思った。
午後4時から通夜を営んだ。ここでも参列者が多かったので「こんなに声掛けしたの?」と聞いたら
町内の人たちの自主的な参列だと言っていた。喪主も驚きながらも喜んでいた。
K子さんの人徳が忍ばれて私も嬉しかった。
出棺と通夜でセンターのある船越まで2往復、通夜での引導作法、読経などで今日は少し疲労気味。
でも、帰りに渡された仕出し料理は、大好きなおが和の料理で、連れも喜び楽しく夕食を食べることが出来た。
何だ?最後は食い気か?うん満足です。





6月28日
土砂降りの雨が半日ぐらい続いた。被害も出そうな雨だったが、割と早く止んでくれたので良かった。
護持会の会計さんが訪ねて来て言うには、護持会の金が枯渇状態になっていると言うことだった。
時期的には草刈りや、垣根の整備などに経費のかかる時期になっているが、暫らくは放置だなと思った。
晋山以来、30数年になるが、庫裏を建て替えた時以外は檀家さんに寄付願をしたことはなく過ごしてきている。
金が足りないからと言ってすぐには寄付を集めることはしないようにとと念を押した。
「元々が荒れ寺だ。放っておけば?」と言ったら「それでええんだすか?」と言う。
「ええも悪いも、おめがだの寺だ。おめだぢの考え次第だべ」と言ってやった。皆とも相談してみると言いながら帰って行った。
言うだけのことは言ったから、何とかしてやらねばと内心では思っている。
草生したところの小さな庵で、南無大師遍照金剛とお唱えしながら、世間の幸せを祈りたいと思っていたころを思えば
今の状態でも環境が良すぎるくらいでと思う。
今は誰にでも余計な金は使わせる時ではないと思う。





6月27日

K子さんの葬儀の準備にかかる。K子さんに相応しい戒名も親しく付き合っていたから、難しくはなかった。
位牌を浄書したり、必要なお塔婆類の浄書も出来た。手抜かりのないようにして、通夜や葬儀に臨みたい。


6月26日
30年以上も親しく付き合いのあったK子さんが亡くなったと知らせが入った。
いろいろと持病を抱えていた人だったが、陽気で明るい人だった。
同じ病院に入院していたのだが、コロナのこともあってお見舞いは禁止されていて出来なかったのが残念で心残りがする。
早速、安置されている葬祭センターに出向き、枕経をお唱えしてから家族に様子を聞いた。
胃がんの手術後は、元気で退院できたのだが、前からあった咽喉がんの再発が致命傷になったようだとの話であった。
ご本人も家族も覚悟は出来ていたらしく
淡々と話してくれたので救われた。
30日に葬儀の日を決めたので、導師を務め懇ろに供養をしてあげたいと思う。






6月25日
コロナ禍で中止も検討されていた男鹿駅伝が無事開催され、寺の下の街道は朝から準備のための
車で混雑したり、選手が走ってきたりで大賑わいだった。
今年も心配だったのはこの街道は整備が悪く、選手が捻挫もしないかと、毎年心配している。
今年もケガをした選手もいなかったようなのでほっとしている。




6月24日
予定では昨日の退院のはずではあったが、21日に点滴を入れる管を体内に埋める手術をしたので
抗がん剤治療は一日遅れで始まり、今日の退院になった。何の苦痛も感じることもなく4日間を病院で
過ごすことが出来たのもいつもの通りで良かったと思う。
管を体内に埋めてもらったせいか、外れたり濡らしたりして、風呂に入るのも億劫な時もあったが
今日はあまり心配しなくても入れたので、洗えるか所も広がり気持ちが良い。
抗がん剤治療も順調にいけば、あとは4回を残すのみとなったので、頑張りたいと思う。





6月20日
梅雨時特有のじめっとした不快感と肌寒さを感じる日であった。
時々はストーブのスイッチを押したくなる時間帯もあった。こんな日は何か意気が上がらない。
ただ、何となく時間を過ごしてしまったように思う。
明日から入院する予定だが、3日間点滴の管をつけられての生活は、きっと退屈することだろう。
病院食のまずさは思うだけで気が滅入る。きっとまた、げそっと痩せて帰って来ることになるだろう。
我儘と言われれば、そうには違いはないが、それにしても、もう少し何とかならないものだろうか。




6月19日
今日は父の日と言うことで、息子や娘たちから衣料や食材、果物などが届き嬉しい一日になった。
病気治療中と言うことで、今回はお酒はなかった。少し残念。
一番嬉しかったのは「気ままに使って」と添え書きがあって嫁さんからお小遣いが送られてきたことだ。
リモートに必要な機材が欲しいと思っていたのでその費用に当てたいと思う。




6月18日
予定になかったことだが、法事をしてくれと頼まれ、1時間ぐらい時間をもらって塔婆を書き、支度をして
F家に出向き法要をした。
精霊は生前は本当に柔和な静かなおばあちゃんで、97歳まで生きられた人だったので
読経をしながら、生前のことを思い出していた。少しは認知症も進んでいたようだが、家族の看護も行き届いて
亡くなる直前まで家で過ごせた幸せな人だったと思う。
午後からは来客もなく、にゃんこたちと戯れたり、ぐうたらしたりで過ごした。





6月17日
Kさんの百箇日忌の法要をご自宅に伺って行った。Kさんの曾孫が保育所でコロナに感染した
こともあって、伸ばし伸ばしになっていた法要なので、終えることが出来てほっとした。
Kさんは自分が開腹手術を終えて退院してきたばかりの時に亡くなって、自分では導師を務めるつもりでいたが
檀家総代さんたちに無理をするなと諫められ、他寺のご住職に導師を務めてもらって葬儀をしてもらったので
忌明け以後の法要は自分が精一杯務めて供養をして行きたいと思っている。

髪が伸びないうちにと思ってケーズ電機に出向き、髭剃り器を購入した。先日洗浄液を買ったばかりなので
それを使える機種にした。買い物中に「そういえば皆の素顔を暫らく見てないな〜〜」と店員さんに言うと
「だよね〜」と言ってマスクを外してくれて「変わってないよね」と言って笑っていた。
早くマスクを外して会話が出来るようになるといいな〜と思う。





6月16日
市内で熊が目撃されたと言うことで、何回も警戒を呼び掛ける車が来ていた。
男鹿市内はどこを走ってみても人影を見ることがないくらいの過疎地が多い。
熊や野生動物が闊歩しても不思議はないであろう。
大分前に年配の人の話を聞いた時に、少子化は熊に限らず野生動物のはびこる原因になるだろうと
話していた。おしなべて動物は赤ちゃんの泣き声や幼児のキンキンした声が嫌いなのだという。
棒切れを振り回しながら、キャンキャン騒ぐ子供らのいるところには、熊は出てこないということだった。
話を聞いた当時は??とも思っていたが、今では納得出来る。

家電が次々と壊れて行く。この間プリンターを取り替えたばかりなのに、今度は剃刀器だ。
これはブラウンの優れモノで、頭を剃るのにも使っていた。前回替え刃を買ったとき、店員さんから
次回はちょっと無理かもと言われていたほど、長い間使わせてもらったものだから仕様がないのかも知れない。
20年以上も床屋にも行かずに、剃髪をしてこれたのもこの機器のお陰だったし、供養をしてから廃棄にしたいと
思っている。お疲れ様でした。







6月15日

お昼は何を食べると言う話になって、連れは韓ドラに夢中のところであったので
何か買ってくるかと言うことになって、車で5分ぐらいのコンビニへ行ってみた。
久しぶりにサンドイッチでもと思い買い求めたが、美味しそうなイカフライも見つけて買った。
そうしたらいろいろと見たくなって店内をうろうろしているうちに、カップ入りの天ぷらそばなどがあって
それも買った。なじみの店員さんが「和尚さん今日は一人?奥さんお出かけ」何て言われたが
あいまいな返事をして会計を済ませた。アイスクリームにも気が付いて買い足した。
晩酌のアテにしたイカフライは抜群の旨さで満足。カップそばは意外と量も多く、美味しい。
今度は一個で二人で分け合って食べても良いなと話し合った。
手入らずの夕餉に連れは何気に喜んでいるようだ。こんな日があっても良いな〜〜と思った。





6月14日
一番日が長い時期なので、朝4時に起きると外はもう明るくなっている。
新聞を読み、前日に頂いているメールに返事を書いていると6時になって、お勤めをするのがいつもの
ことだが、毎日の決まったような動きは大切だと思っている。
朝食後は約束事のない日は自由な時間になるが、ここから私の場合はぐうたら時間になってしまう。
あれもしよう、これもしようとは思っているが行動にはならない。
連れに聞けば「えね。それで」と答えが返ってくる。
「うんだが。へばえが」で今日も愚僧の一日は終わってしまった。






6月13日
天気も良いのでドライブがてら街に出て、ケーズ電気に立ち寄り、PC周りの劣化しているだろうと思われる
配線関連の機材を買い込んできた。少しづつ取り替えて行こうと思う。
ケーズ電気さんが少し暇のようだったので、馴染みの店員さんと若い店員さんに手伝ってもらって
カードに代わるスマホでのアプリを登録してもらって、早速ブラウンの洗浄液を購入し、500円の値引きがあって
喜んで帰って来たが、なんか、俺って甘いな〜〜と思ってしまう。
久しぶりに車に給油してもらいにスタンドへ寄ったら「和尚さん何してだすか?元気だったすか?」と聞かれ
「半分死んでたよ」言ってやったら「ううんだすべ。暫らく見ねがったすものな」と言われ、時々は顔を出しておかないと
本当に殺されてしまうような気がした。
やっぱり時々は外へ出ないと駄目だと思う。



6月12日
K家の7回忌法要を寺に来てもらって行った。10人もの人が参加して営む法事は最近では珍しい。
和気藹々ととした穏やかな家族や親戚の集まりの中で行われる法要は和を感じ、亡き人の生前の
人がらや暮らしぶりも思い出されて懐かしい。
久しぶりにお布施収入にもなり、愚直に嬉しがっている自分が少し浅ましく感じないでもないが
金欠病には何よりのお薬と思い、有難く頂戴しておくことにする。

午後には常連のTさん、Yさんが遊びに来てくれた。いつも食べたいものを聞かれるので
遠慮もせずにあれこれ食べたいものを言ってあったので、それらを持参してのお出でなので
大歓迎。お昼もそれらをご馳走になり、夕餉も彼女らの持参したもので頂いた。
今日もばあちゃんパワーを沢山もらって、元気で過ごすことが出来た。






6月11日
連れが楽しんでいたPCでのゲームだが、最近はやたらと入ってくる宣伝広告が多く、ボタンの雄島利害などがあって
ゲームが旨くできないと言うことで、暫らく休んでいたが、また、やってみたいと言うことで、いろいろと工夫を
してみることにした。「はい!どうぞやってみて」と言えるまでは少し時間がかかりそうだ。




6月10日
昨日、退院して来たが、今日も何の支障もなく、普通に動けた。車で外出もした。
退院などで留守が多くなると、郵便物が溜まってしまう。この処理が面倒くさい。
広告物は、見ているこれも良いな〜、欲しいな〜と思うものが沢山ある。
欲しいな〜。良いな〜〜と思うだけで、今の状況では買えるものがない。慢性金欠病に苦しむ自分には
欲求不満がたまるばかりだ。チラシ類は出来るだけ見ないようにしている。





6月9日
予定通りに抗がん剤投与が済み、午後2時ごろ退院してきた。
何の苦痛も異常もなく過ごせたので、ほっとしている。主治医や看護師から指先の痺れがないかと再三聞かれるが
今のところはその症状はない。 嘔吐を繰り返したり、指先が痺れてコップを持てなくなったり
ボタンをかけれなくなるなどの症状が出る人も多いらしいが、自分は今のところはそんな症状は出ていない。
病院食がまずいと我儘を言いながら、3っ日間を過ごして帰って来たので、夕食は連れの作ってくれたものを
堪能して眠りに津ことが出来そうだ。





6月6日
昨日、今日と特にしなければならないこともなく、ちょこちょことあちこちを片づけて見たり
片づけるつもりがかえって物を散らばしてしまったりして過ごしてしまった。
明日から三日間抗がん剤投与のため入院の予定だ。12回の予定なので7回目の今回から後半に入ることになる。
予定の変更なしに続けて来れたのは、あまりないらしく「主治医からは「強いね」と言われているが
本当はどうなんだろうと思っている。





6月4日
今日は落ち着いて、プリンターの説明書を読んでみると、最初の段階で自分が部品の一個を
壊してしまっているに気が付きがっくりと肩を落としてしまう。
早速、その部品を注文し取り寄せることにした。
7日から2泊三日の入院の予定なので、新しいプリンターを使えるのは退院後になる。

ユウチューブで、脳外科医の養老孟司さんの講演を見て、楽しくて半日も見てしまった。
いろいろと教えられることが多いし、かつて禁煙運動が持ち上がった時、そんな大騒ぎすることでもないのにと言っており、

喫煙者の唯一の味方であったような人なので、近親感も感じており、猫好き、虫好きも共通点があって
身近に感じる人でもある。益々元気で、活躍して欲しいお思っている。




6月4日
騙しだまし使っていたプリンターがついに動かなくなったので、新しいものに取り替えたが
どうも設定がうまくいかない。明日には出来ればと思っている。何気なしに出来ていたことが
出来なかったりするとイライラもつのる。自分の能力劣化を顧みずに、機器に当たり散らして
いる自分が情けない。
想えばPCをいじり始めたころ、息子に「説明書をちゃんと読んでから取り掛かれば出来ないことはない」と
言われたことがあるのを思い出した。明日はそうしてみよう。




6月3日
今日も肌寒い一日だった。お勤めの法衣もまだ冬物を着ている。
元々、夏でも暑さを感じないひんやりした本堂だが、それにしても今年は少し異常だと感じる。

近くのM子さんが作ってくれたお惣菜で昼食を食べた。身欠きにしんと蕗、ちくわなどが入った煮付けだが
美味しかった。ふと、義母が良く作ってくれていたことを思い出した。
あの頃の義母は・・・といろいろと想いだして、目頭が熱くなった。





6月2日
朝から冷たい雨が降って、寒い一日。衣替えなど出来ない。
夕方からは雷とともに強い雨になった。
雷は激しさを増し、家じゅうがガタガタと揺れるほど強かった。近くにでも落雷があったかも知れないほど
「ど〜〜ん!」という音とともに、家がミシっときしんだような音がしたほどだ。
にゃんこたちも傍から離れない。きっと雷の音がこわいのだろう。
雷の音が収まったら、何事もなかったようにす〜〜っと離れて行った。




6月1日
またもや!チョンボ
!昨日、前日までの日記を消してしまった。どこをどのようにしてしまったのか判らない。
復活を試みいろいろしてみたが駄目。最近は油断して、バックにも取っていなかった。油断と失敗。
それだけだろうか?脳の劣化も進んでいるのかも知れない。
脳のことで思い出したことがある。あの頃
の一つだ。
想えば60ねんほど前の22歳のころ、風邪だと思って勤め先の近所の医者に暫らく通っていたが治らず、医者を変えてみても治らず
勤めさきの社長が、駿河台にあった
(今もあるのかな?)日本医科歯科大学の病院に連れて行ってくれて検査の結果
急性歯槽膿漏と言うことで、歯を一本抜いてもらっただけで、すぐ治ったことがある。
その時のことだが、脳の検査をしてくれた医師から「S君、君は今まで頭を使ったことがあるのかね?」と聞かれ
「え!何でですか」と問いかけると「脳みその皺がこんなにない人は見たことがないんでね」と言われ、変に納得した
覚えがある。感情の赴くまま、勝手気ままに生きていた自分に覚えがあったからだ。
「冗談だよ」と言われたが、これは冗談なんかではないなと思ったことを今でも鮮明に覚えている。

今日はこの寺で長く続けている「5月飯」と呼んでいる法要がある。数年前までは地元の檀家さんが1000円づつ出し合い
自前の料理を持ち込んで、法要後に懇親会をしていたのだが、高齢化に加え、ここに至ってはコロナの影響もあって
参加者が無くなり、檀家さんの半分の方から集めたと言って16,000円を持って来て終わりになった。
しかし、法要だけは行いたいと思い、花屋から花を届けてもらい、本堂を荘厳し本尊様、諸尊、先師尊霊、檀信徒代々精霊などに
御霊前をお供えし、自行だけで法要を行った。
この法要は近隣のお寺でも行っていたもので、5月の田植えなどが無事に終わったことをご先祖様に報告し、実りの秋まで
見守ってもらおうと言う気持ちで始まった行事だと説明はしているが、農、漁業、林業に携わる人も皆無に近い昨今の
世情では意義を感じることが出来ないのかも知れない。
「殆どの寺はやめてるよ。和尚さんだけだよ」と言われると「ふん〜〜、そうか」としか言えない。

「なんでえ!16000円ばかり持ってきやがって。こっちはその何倍も金をかけてやってんだ!」と
心の中で愚痴を言う。またもや愚痴ってしまった。骨山和尚は愚僧なり。






5月31日
今月も今日で終わり。入院生活6日間はあったが、それにしても日時の過ぎて行くのが早く感じる。
夕食の時、ふと思い出していた。あの頃は?と。
今日も好みのものを食べられている。あの頃は?と思い出していると、今は至福としか言えないほどだ。
「和尚さん、何か食べたいものある?」聞かれれば「うん。あれも食べたい、これも食べたい}と素直に言える
自分がいる。それを届けてくれる人がいる。こんな幸せなことがあるのだろうか。
あの頃は?あの頃の自分は?
今頃になって
反省しきり。遅すぎる。